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2011年8月 2日 (火)

事故顛末@入院中 その1

というわけで、入院中であります。事故の経緯はまだいろいろとね。審理中なんで詳しくは語れませんが、走行中、横から別の自転車に突っ込まれたんですな。幸い相手方は僅かに擦り傷を負った程度のようでしたが、こちらはそのままぶっ飛びましてね、まあスピードは大したことはなかったんですが、ロードに乗った位置からアスファルトの地面に投げ出されたら、そりゃねえ。柔道の投げ技だって、この高さから勢い付けてアスファルトに投げ出したら、折れるわね。

あくまでも、記憶というよりイメージに近いんでしょうけど、まずぶっ飛んで肩から落ちて回転し、背中を強打した、っつう感じでしょうか。回転する中で、頭も打ちつけたと思いますが、ヘルメットが衝撃を吸収するボワンとした感覚があったことも覚えてます。またヘルメットに救われたなあ、みたいなことも思ってました。実際の様子は、見てる人もいたらしいですけど、聞けないのでね。

まあ、しかし。これが苦しくて。背中を強打してますから、息を吐きだそうとするわけですが、肺が動かない。あ゛あ゛あ゛みたいな声を出し続けて、ようやく一緒に息が吐ける、みたいな。この時点で、少なくとも確実に肋骨は逝ってるな、と確信しました。実は前回自爆した時も肋骨の何本かは逝ってたと思うんですが、あれ以上のダメージだったんで、こりゃもう救急車だな、と。なにしろ体がピクリとも動かない、動かせない。膝やら肘やらが熱くなっているんで、きっとアスファルトでざらざらに削られているんだろうなあ、動かすの嫌だなあ、石とか土とか入ってるよなあ。

周りに人が集まっていますが、目をあけることができない。意識ははっきりしてるんで呼びかけに応えたいんですが、息が吸えないから言葉が出ない。救急車と警察を呼んでもらうので精一杯です。とはいえ、頸椎や脊椎に異常がないか、とか足の指先、手の指先を動かしてチェックします。とりあえず傷みもあるし、指先も動く。意識もはっきりあるし、首や頭に違和感はない。まあしかしアドレナリンが出てるから正確な判断とは言えんなあ、そんなことも考えてましたよ。

ようやく救急車が来た頃には、なんとか息もできるようになったんで、周りにいる方々にお礼を言いましてね、そしてお願いをしました。自転車をどなたか預かってくれませんか、って。盗まれちゃ嫌だなあ、ってまずそのことが頭に残っていたんですよ。馬鹿ですねえ。とりあえず善意の方にお世話になって、自転車も、最終的には警察預かりになり、無事自転車屋さんに回収されて行きました。つうか、回収していただきました。だもんで、まだバイクがどうなったのか、全然見てないです。怖いよう。

自転車屋さんの話では、外見上はダメージがあまりないそうですが、なにしろフレームもホイールもカーボンですからねえ。まあ、この話はまたいずれ。

でだ。救急病院に搬送されるんですが、これがねえ。よく聞くことなんですが、受け入れ先がなかなか決まらない。ウチの近所にそうとう立派な総合病院があるんですが、できれば後のことを考えればそこに行きたい。しかし、そんな贅沢は通らんのです。結局ウチから車で3~40分ほども離れたところにある、埼玉医大国際医療センター、というところまで行きました。はい、医療センターの皆さま、その節はお世話になりました。って見とらんわな。

このあたりで、救急隊員の方からさらっと、鎖骨折れてるよ宣言がなされました。あー、やっぱり鎖骨折れちゃうんだー、みたいな。感じですわな。ロード乗りの勲章とか、ありがちな事故だよなあとか思いますが、他人事ならばそうも言ってられますが、自分のことだと、先行きを考えると暗くなります。まあ、暗くなっても仕方ない、というかどうしようもない、と覚悟を決めます。

救急車の中から会社の上司に連絡を入れたりしましてね、後から言われたんですが、電話のバックグラウンドに流れる救急車のサイレンが、なかなかに緊迫感を高めておったらしいです。いや、だってほら、緊急手術とかなっちゃったら、連絡できなくなるじゃないですか。とりあえず連絡できるうちに、とか思ったんですよ。しかし相手にしたら何ごとかってなもんですがね。まあこれから何週間か休むんです。仮病と疑われないだけよろしい。そゆことにいたしましょう。

もちろん奥さんにも電話しましたよ。でもね。奥さん、なかなか電話に出てくれない。XperiaAcro、ベル音小せえんじゃねえのか、いや知らんけど。そんなこんなするうち、病院の中に運び込まれましてね、携帯も取り上げられました。あ、今ふと思いましたが、そういえば携帯も背中のポケットに入れてたんで、ひょっとしたらかなりの衝撃を受けてるかもしれません。しかし、今まで気づかずそのまま使ってました。つうことは、G’zOneType-X、すげえぞ、耐衝撃性。っつうことですよな。うん、やはりロード乗りはG’zOneですな。うん。

ま、それはともかく。ストレッチャーに乗せ換えられて、処置台の上に移されたり、しかし、姿勢が少し変わるだけで激烈に痛みます。鎖骨はまあ大したことないんです。見た目はともかく、それなりに痛むってだけですが、肋骨は辛い。息を吸うだけでも苦しい、っていうより、胸にかかる重力だけでも十分に苦しい。息が吸えないもんだから、酸素マスクしたりしてですね、そうとう重篤者の体です。

この状態で、MRIとかレントゲンとか撮ってもらうわけですな。そおりゃもう苦しい、寒い。うん、寒いんですよ。病院って。おまけに手当てのためにほぼ裸なわけですよね。しかも怪我してるせいか、体温のコントロールがうまくできない。ガタガタ震えが来る。看護士さんに寒いですって伝えて、何枚か毛布をかけてもらいました。

で、お医者さんの診断。右鎖骨と肋骨が5本折れてます、と。幸い折れた肋骨が肺に刺さったり、あるいは肺の中で出血したりしていることはない、と。鎖骨は手術が必要です、ってなことですな。ただ、救急なんで整形外科の先生が夜いなかった。なもんですから、そのまま手術ってわけに行かなかったわけなんです。明日まで待って、つまり入院して翌日以降手術日を相談する、ウチの近くの病院で手術をしてもらう、どちらかの選択を迫られました。

そうこうするうちに、看護士さんが奥さんに連絡をつけてくれ、病院まで来ることになりました。が、これがまた時間がかかる。私が病院に入ったのが18時過ぎ、奥さんが病院に来ることができたのは、21時半ごろでした。これではね、そんなにウチから遠いんでは入院した後も来られやしない。まあ、そう考えましてね。いったんウチに帰って、翌日近くの病院に行くことにしたわけです。家に帰るまでも大変でねえ。肋骨が折れてるもんだから車の加減速、カーブのGがことごとく息を詰まらせてくれるんです。これは、苦しい。

とにかく夜の11時ころにようやく我が家に辿り着いた、と。まあ今日の報告はここまで。写真ですがね、怪我の写真とか術後の写真とかあるんですけどねえ、それ見たくないでしょ。けっこう気持ち悪いですもん。アップするのは止めときます。

でも、この記事って需要があるのか、とかそゆ問題は常にあります。

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自転車」カテゴリの記事

コメント

知らなかったとは言え、大変な目に会われていたんですね。
一日も早いご回復を、心からお祈り申し上げます。

自転車の事はよくわからないので、何となくしか想像できません。
すみません。
今回のzoujirushiさんの事故には全く結びつかない思い出話です。
入院中で時間を持て余されている場合のみお読みください。

バイクに関しては、生身の人間が乗るにしてはスピードがですぎると、本能的に恐怖を感じるせいか 乗りたいと思ったことはないのですが、自転車事故で それほどまでの怪我をされる事も、また信じられない思いです。
高校生の三年間、修学旅行以外一日も休まず、自転車で新聞配達をしていた事をふと思い出しました。
距離にして6km前後位でしょうか、部数は150位だったと思います。
ただ、当時は読売と中日(名古屋のローカル)以外、全てありましたから集中しないと、最後に違う新聞が残るので大変でした。
朝日、毎日、産経二種、日経、スボーツ二種、英字新聞等です。
最初は一時間半ほどかかっていたのを覚えています。
それが最終的には40分で配れるようになりました。
家を出てから新聞店までの約2kmと、最後の一軒が終わってから自宅までの、約1.5kmは本当に全速力でした。
今にして思えば、ヘルメットはしていませんから、本人にその気はなくとも、結構危険な行為だったということでしょうか。
途中の配達でも、殆んど全力で加速と停止、自転車を置いて走ったり・と、毎日が記録に挑戦だった気がします。
自転車は中学入学時に買った五段変速の、丸石自転車でした。
大体7時迄に配り終えることが目標でしたが、もっと早く配達して欲しいというビジネスマンらしき人もいました。
それから、通学の片道2.5kmも自転車でしたが、流石に交通量も多くなり、全速力でこぐ事はできません。
クラブは軟式テニス部でしたが、まるでスケート選手みたいに脚は鍛えられたと思います。
太ももと、膝上の左右の筋肉の盛り上がりは大変なものだった気がします。
175cm65kmで、ウエスト68cmだったと思うのですが、ウエストにあわせてズボンを買うと、必ず途中で上がらなくなるので、ふた周りほど大きなサイズを買って、ベルトで締め付けついました。
そんな高校時代、まさに最後の一軒の配達を終え、ギヤを一番重くし、自宅を目指して全速力でペダルをこぎながらよく頭に浮かんだ言葉を思い出しました。
もしも、神様がスピードを計ってくれたなら、この道を自転車で一番早く走ったのはきっと僕にちがいない!

って、それを説明する為の、駄文でした。
その時どれだけのスピードが出ていたのか、今となっては知る由もありません。
卒業後も妹が3年、弟が4年、共に私の半分の部数でしたが引き続き配達しました。
パンクの数は数え切れませんが、一度も事故が無かった事を改めて感謝したいとも思いました。
そう言えば、人にぶつかって転んで亡くなった方もおられましたね。

寝られない夜に、遠い友の快復を祈りつつ・・・な~んてね。

どもです。ご心配おかけしています。

この夏のキャンプも、当然中止です。10日から無印キャンプ場をとってたんですけどね、なにしろ退院が10日じゃあ、決行は無謀というより正気じゃない。傷が腐れます。せめて、どっかのロッジでも取って雰囲気だけでも味わいたいんですが、それも怪しいですなあ。暑いときは、ちょっとキツイです。

高校3年間の新聞配達、すごいですなあ。わたしは小学5年生から中1まで新聞配達をやっておりましたが、田舎だったんで、大した部数も配らずです。50部くらいかな。長じて、新聞奨学生というものを半年だけやりまして、体(ひざ)を壊して挫折。あれを3年やるというのは、大変なもんです。自転車に向いているかもです。

自転車、面白いですよ。と、まだまだ懲りておりません。またよろしくです。

順調に回復されていることと思いますが、更新が無くて寂しいです。

先日健康診断で引っかかりまして、私もしっかりメタボ進行中です。
明日、病院で再検査に行く予定ですが、運動不足も指摘されています。
ただ走るっていうのもいいんですが、納得できる道が見当たりません。
本当は球技が好きなんですが、一人じゃできないし、年齢を考えると難しくなりつつあります。
プールでひたすら寡黙に泳ぐ・・っていうのも、続ける自信がありません。
唯一やってるのは、腕立て伏せとスクワットの各50回を,一日置きにするくらいです。

自転車、面白いでしょうね。

知識や先立つもの、置き場さえもありませんが、一人でも出来るのはいいですね。

お盆に越前三国でキャンプしてきました。
7月は我が家恒例の琵琶湖知内浜キャンプ場で、それぞれ海と湖で夏を満喫してきました。
9月は三重で予約済みですが、秋の無印も紅葉していそうでいいかも・・ですね。
zoujirushiさんとの唯一共通キャンプ場です。
いつの日かご挨拶できたら嬉しいです。

自転車、いいですよ。と、言えるような状況ではないですけど。

まあ、喉元過ぎれば熱さを忘れる、と言います。たぶん治れば笑って自慢話にでもしちゃうんでしょうが、何しろ今は痛い。たかが鎖骨骨折と思ってましたが、いやいや大変なモンですな。馬鹿にできません。

ネタがないわけではないんですが、まあ無理しない程度にちょこちょことやっていこうと思います。ピンを抜くまでは、安心して何かをするってのもできませんなあ。今は、冬のキャンプ、秋のライドにひたすら夢見ておるのです。

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