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2011年8月25日 (木)

哀惜離別、というのだそうです

今回、かなり個人的な話です。いわば自分自身に整理をつけるよすがとするために、書いています。つまらなく辛気臭い話が延々と続きますので、なんとなくにはご覧にならないほうが良い、と思います。

老猫が飯を食わなくなりました。もう3日ほども、ほとんど何も口にしておりません。今年の12月で、ちょうど20歳になるはずでありました。一緒にいられる日は、おそらくは、もう何日も残されていないでしょう。

P1020574「だだ」という猫であります。もともとは、もう少し立派な名前があります。「大吉」という名前でしたが、猫飼いの例に漏れず、猫可愛がりをしているうちに、赤ちゃん言葉になってしまい「だだ」になった、ということです。

だだが我が家に来たのは、20年前、お客さんが勤め先に連れてきた仔猫を、もとより動物好きだった私が引き取ったのです。今考えると、危ないだろうと思うのですが、その当時から猫バカだった私はシャツの中に仔猫を入れ、車を運転して帰ってきたのです。

当時、私は一戸建ての借家に住んでおりました。たまたまその日は奥さんより私のほうが家に帰るのが早かったので、玄関前で猫を抱いて奥さんの帰りを待っておりました。バイクで帰ってきた奥さんが、猫を抱いている私を見て、「ほんとに連れてきたのぉ?」と声を上げました。まだその頃は、奥さんは猫好きではなかったのです。私は、「誰か飼い主が見つかるまでの間だけ…」とモゴモゴ言いながら、猫のゴロゴロ鳴く音を胸で感じておりました。

しかし、そんな奥さんも、数日の間にはすっかり情が移ってしまい、誰が来てもうちの子は渡さない、そういう気分になっておったのです。

家には子どもがおりません。それはもうそれで、自分たちの人生として受け入れて、そうであるものとして生きていこう、そう決めておりました。30歳の私たちは、30歳なりに自分たちの人生の行く末を見つめ、生きることを決意しておりました。そのときの心構えがいい加減なものであったわけではない、と思います。ただ、本質的に、人は時間というものを体感的に捉える、というかリアルに想像することは難しいのだろうと思うのです。

猫は猫である。人ではありません。言語をもつことができない猫は、人間とは全く違う生き物です。猫は「明日」も「昨日」も理解していません。常にあるのは「今」です。例えば、旅行で猫を家に置いていく。もちろん、世話をする人を頼んでいきますが。おそらく、猫が寂しがる瞬間というのはあると思います。ただ「昨日からずっと」という言葉をもたない猫は、それを記憶しておくことができないでしょう。何とはなしに、寂しくて、ささくれるかもしれませんが、覚え続けることは難しい。逆に、1日ずっと猫のそばにいて声をかけてあげたとき、満たされ続ける「今」は存在しても、「ずっと可愛がってもらったから十分」という思いももつことはない。

おそらくは、猫の痛覚も、人のそれとは違うはずです。人間のように敏感であれば、野性の中で暮らしにくいことが多いはずです。例えば聴覚や味覚が失われたとしても、それを比較するための基準となる記憶を持ち続けられない以上、現状を現状として受け入れているだけであろうと思います。

それはいいとか悪いとかではなく、言語を持たない動物の在り方なのであろう、と思うのです。しかし、それらは理屈であります。人は思いを投影し、哀れであると思ってしまいます。

20年前にこの猫を飼うことにしたとき、猫として大切にしてやろうと思いました。擬人化し、あたかも人の子であるかのように扱うことは、人の生を押し付けることであると思いました。猫にとっての「今」を満たし続けてやろう、と思ったのです。

だけれども、人は自分の思いを投影してしまう。この猫が私を愛してくれている、あるいは、私に不満を持っている。この猫は幸せであるのだろうか、あるいは不幸であるのだろうか。この猫は苦しんでいるのだろうか、あるいは感じていないのであろうか。そんなことを考えても猫は応えてくれないし、考えてもいない。

私と奥さんは、猫に全てを与えた、わけではないけれども、与えられるもの全てを猫に与えた。形のないもので言えば、それは愛情というものであり、形のあるもので言えば、安心し、ぬくぬくとすごせる居場所であり、求めれば常に与えられる食事であり、ああ、もうそんな言葉ではない。私のひざは常に猫のためにあり、私の胸は7kgの体重があったときでさえ、猫のための居場所でありました。爪を立てて遊ぶ猫のために手の甲が傷だらけになったときも、そして今、骨と皮だけになって目やにを出し続けるようになっても、猫は「世界中で一番かわいいだだ」であったし、「ほしいものがあったらなんでもしてやるぞ」であったのです。

Img_0891猫が私たちといて不幸である、不快であると感じたことなどない。そう言いきれるほどの目をかけました。猫が、猫として十分すぎる以上の20年という年月を生きた。それ自体が、満たされた生であった、と思うのです。

それゆえに、猫が生を去ろうとしている今、何かをしてやれなかった、とか、何かをしてしまったと悔やむことなど何もない。猫も、今このときでさえ、弱弱しく息をしながら、それでもなお満たされた穏やかな顔をしている。猫は穏やかであります。

しかしです。私が、寂しいのです。この世界から私の好きだった猫がいなくなる。わたしと20年を生きた猫がいなくなる。この猫は、私の子どもではない。人ではない。ただの猫として生まれて、拾われて、たまたま私と出会い、生きて、満たされた20年を過ごすことができた。十分であります。

それでもなお、私の喉からは嗚咽が漏れるのです。喉の奥から、何かの塊がこみ上げてきて、どうしようもないのです。もうすぐ51歳になろうとするいい年をしたおっさんの目から、涙がこぼれるのです。

失われるのであれば、何ゆえに得るのでありましょう。壊されるのであれば、何ゆえに創るのでありましょう。死んでいくのであれば、何ゆえに生きるのでありましょう。古今の信仰者が修行に励み、哲学者が考察し、今も多くの人々が救いを求めて彷徨っておられます。

つまるところ失われるのはものではなく、自らの心の一部なのでしょう。

神はおられるのかもしれない。御仏は見守っておられるのかもしれない。しかし、自らの心の一部が失われるのであれば、あるがままであるしかない。哀惜離別、というのだそうです。

いま少しだけ残された時間を、悲しみとともに、かつての喜びとともに、猫といてやろうと思うのです。

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