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カテゴリー「ペット」の11件の記事

2013年10月 4日 (金)

猫といえども必ずしもトイレを砂の上にするばかりではない 花王 ニャンとも清潔トイレ

20130707_200346_p7070017十人十色、と申します。その伝で言えば、十猫十色であります。もちろん、猫という種族共通の特性はあります。種が生き残るために身に付けてきた遺伝的特性、と言ってもいいでしょう。

しかし、人間の盲腸と同じで、あれは何なの?と思うのが尻尾。長い尻尾はわかります。バランスを保つ役割を果したり、的に相対したとき体を大きく見せたりと役に立つ。のかな。ボブテイルは、あれはあれで、敵から逃げるときに尻尾を捕まえられないようにとか。ただ、わからないのが鈎の尻尾であります。

猫に詳しくない方のために補足いたしますと、たまにいるんですよ。尻尾が鈎状に折れ曲がっているのが。別に、生後の虐待でそうなったわけではなく、生まれつきのもののようです。ただ、見ていて、感覚的に怖いです。分かっていても、折れてる!って感覚が抜けない。先っぽがちょっと折れてるくらいなら、曲げているようで抵抗がないんですが、長い尻尾の中間で折れてるヤツは、なんか不憫に思えてしょうがない。猫は、気にしてないですけど。余計なお世話ってやつです。

さて、で。猫は元々砂漠の生き物、エジプト辺りが原産らしい。ので、暑さに強く寒さに弱い。また、もともとは水をあまり飲まない。ですけど、家飼いに馴化していく中で、ドライフードや塩分を多めに取ったりすることもあり、結果的に今の猫は水をよく飲みます。ここが難しい。飲み過ぎていると、腎臓病だったりすることもあるので、普段の量というのを把握する必要があります。が、二匹以上いると、どっちがどんだけ水を飲んだか、なんて、なかなかわかりません。

20130910_211245_p9100001しかし、飲む水の量を気にしてられなければ、トイレの量を見るとある程度は飲んだ水の量も推定できます。が。やはり猫2匹以上いると、どっちがしたものかは、はて。大のほうは、まだわかるんです。概ねブツによってどっちの猫がしたものかはわかる。しかしねえ。尿はわからんです。

さて。猫のトイレですが、猿のトイレの躾ができないことはご存じですな?できないらしいですよ。猫よりチンパンジーの方がよほど人間に近いわけですから、それくらいはできそうなもんですが、ダメなんだそうです。猿はもともと樹上動物で、木々の間を渡って移動する動物です。だから、空中がトイレで何の問題もない。ブツを落としていったからといって、その後を補色動物が狙うわけでもない。爽快なもんです。

したがって、排泄物を隠すという本能的行動が存在しないのです。本能的行動が存在しないのに、躾をするというのは相当にハードルが高い。で、猫のトイレ。これは躾が簡単です。もともと猫は狭いテリトリーの中で、隠れていて獲物が近づくのを待ち、捕食します。当然、獲物に警戒されては困るので、自分の生活圏の中では排泄物を隠そうとする修正があります。これを利用して、家の中に砂場を作ってやり、猫が排泄物を隠すことのできるところを作ってやると、猫は自然とするようになる。

これが猫のトイレの躾けの基本であります。

で。実際に本物の砂を使うと、排泄した後が困りますよな。自然界なら分解する微生物やら昆虫やらがいますが、家の中でそんなん活動されたら不衛生でしょうがない。しかも狭い汚いトイレを猫が使うはずがない。じゃあ砂を毎日洗うんかい、と。いうことで、もう少し使い勝手のいい物が売られております。

一般に、ゼオライトのような鉱物を使った鉱物系の砂、木屑の粉を固めてチップにした木質系の砂、紙を小さく丸めて作った紙質系の砂。であります。いずれも水分を吸うと固まって、その部分だけを捨てられるようになっております。とはいえ、全部が全部うまく固まるわけではありませんし、トイレのケース自体も汚れますので、1週間に1回くらいは全取っ替えしてやりたいところです。少なくとも2週に1回は。でもねえ。これ、結構な大仕事なんですよ。

私の拙い猫飼い経験で申しますと、一番固まりやすい鉱物系は、要するにセメントみたいな物で、重くて扱いが大変です。トイレを洗う場合でも、大量に水に流すとパイプをコンクリートで固めるようなことになります。それに、日常的には細かい破片が家の中に飛び散り、いつもうっすらと埃が溜ったような状態になります。その代わり、感触が本物の砂に近いので、猫的には評判がいいです。つうか馴染みやすいです。

木質系チップ、紙質系チップは、それ自体が燃えるゴミとして捨てられるので、処理が簡単な反面、砂と違って軽いので猫の脚の裏にくっつくことが多く、猫はあまり好みません。特に紙質系。このトイレが気に入ってくれる猫がいれば、それはとてもラッキーなことです。気に入らない場合は、そう言う猫は、家の中でところ構わずやりやがります。叱っても無駄です。猫を嫌いなトイレに入れる方法はありません。諦めて、鉱物系の砂に替えましょう。

間を取って木質系。実は最近(といっても4~5年くらい経ってますが)開発された木質系チップは、水分をほとんど吸わず、全く固まりません。では、尿はどうなるのかといいますと、尿はそのままチップ層を通り抜け、その下に敷いてある板状の吸収剤に吸わせるのです。チップはむしろ水を弾くように出来ています。トイレのケース自体も撥水性を高めているので、汚れが残ることはほとんどなく、吸収剤自体を替えさえすれば、猫トイレ洗いも1ヶ月に一回程度で十分。とても優れたシステムです。

20120309_191823_p1030781花王の「ニャンとも清潔トイレ」であります。まあネーミングのセンスはともかく、猫が気に入ってくれれば、なかなかに素晴らしいシステムです。なんですがねえ。猫が気に入るかどうか、なんですよ、結局は。

うちの猫2匹とも、ウチに来たときからずっとこの「ニャンとも清潔トイレ」を使っています。生後半年くらいですか。それ以前の保護主さんのお宅でも同じような物を使われていたそうですから、言わばこれしか知らないで育ってきたようなもんです。間違っても鉱物系の砂なんか試してやらんぞ、と。思ってたんですよねえ。重いし、埃は散るし、洗うの大変だし。でも、馴染んでくれているから良かったなあ、とずっと思っておりました。

ところがですねえ。この春くらいから、白猫ソラが馬鹿尿をするようになりました。以前も申し上げましたが、トイレ以外、ところ構わず尿をするわけです。なぜ私の部屋のフローリングの真ん中でするかなあ、なぜカバンの上でするかなあ、と思いつつ、淡々と片付けていたのです。

そのうち、大の方を浴室前の足ふきマットの上でするようになりました。なぜ。ここでする。まあ、足ふきマットは洗濯すればいい。見えないところでやられる馬鹿尿よりよほど楽です。しかし、なぜ。砂掘りもできないこんなところで、なぜ。

まあしょうがない。生き物を飼うと云うことは、そう言うことも含めて覚悟の上で飼うもんだ、とね。死ぬまで片付け続けてやるよ、と思っていたのです。

が、ふと考えた。足ふきマットの代わりに、同じ場所にペットシートを置いてやったらどうするかね、と。私の部屋の、よく馬鹿尿をする場所に、ペットシートを置いてやったらどうかね、と。それも普通のトイレの中では収まりが悪い。「ニャンとも清潔トイレ」の仔猫用の小さなケースの中に敷いてあげよう、と。

20130830_193738_p8300024そうしますとですね。これが、やるんですよ。ペットシートの上で。まあ、敢えてブツが乗ったペットシーツの写真は出しませんが、浴室に置いた猫トイレの横にふわっと置いてあるペットシートの上で、大をします。私の部屋の「ニャンとも清潔トイレ」仔猫用ケースの中に敷いたシートの上で、尿をします。尿をした後は砂を掻くようにしてシートを掻くので、上手くシートが丸まっております。

なんでかなあ。なんでシートの上なんかでするかなあ。わかりません。猫の考えることなんざわかりゃしません。ただシートは一回使うと二度目は使えないので、一日家を空けることを考えると、もう一つくらいは用意してあげよう、と。そう思って二つ置いてありますが、二つ共にしてあることはあまりありません。よく見ると、普通の「ニャンとも清潔トイレ」でしているときもあるようなのです。

これがわからん。ただ、ペットシートトイレを置くようになってからは、馬鹿尿をされることはほとんどなくなりました。ほとんど、ですよ。絶対ではない。床に尿をされると困る物は置かないに越したことはないです。

あ。そういえばカバンを一つと財布を一つ、ダメにされました。ま、たぶん今は大丈夫です。

結局、何を語りたいかちゅうとですね、つまり、猫という種族特有の性質、共有する性質はあるけれども、場合によってはそれを超えて、好き放題しやがる個体が存在する、ということであります。

だからなあ、人生っちゅうのはなあ、わからんのだよ、小僧。と飲んだくれたおっちゃんがガード下でくだを巻いていた気分が、非常に良くわかる今日この頃であります。3000年前の中国でであれ、300年前の江戸であれ、同じように人は生き、死んでいった、多少に感傷的である今日この頃であります。

2012年9月30日 (日)

幼猫・海 暴風の如く駆け抜ける そして白猫ソラの白い毛が舞う 猫ブラシ フーリー

20120914_202741_p1040419あのね。8か月ですよ。白猫ソラがうちに来てから。ずっとちびちゃなソラだったのに、幼猫・海が来てから気が付いた。ソラ、でかくなってる。体重を量ってみたら、5㎏越え。6㎏近く。ヤヴァイ。でぶ寸前。ああ、そうか。この頃、朝、胸に上られたとき、苦しくて息ができないわけだ。

でも、今でもかわいいんです。肉付きのいいところが、またね。

幼猫・海は、ソラがとても好きなんです。いや、その言い方は違う。あまりにも擬人化しているというべきでしょう。要するに、海にとって、ソラは恐れるべき存在ではなく、遊びたいときに遊んでくれる相手だということを理解した、と。とりあえず、ソラのまねをしているようです。寝るときは寝室に来て、ベッドの上に乗る。ご飯をもらうときは、ソラと一緒に鳴く。ソラが登るところは登る。

20120915_100234_p104043520120925_214828_p1040498ソラは、どうなのかなあ。いい猫だから、幼猫・海がソラの首元に絡みつくように飛びついても、適度に加減しながら、噛んだりパンチしたりしております。私だったら、うんざりしますが、ソラの脳が単純だからなのか、お利口だからなのか、怒りもせず相手をしています。ねえねえ、海。あんまりしつこくすると嫌われちゃうよ、と話して聞かせてわかる相手ではない。です。

で、だ。換毛期です。夏毛から冬毛に生え変わる時期を換毛期といいます。これね、半端ない量が出るんですぜ。一匹分の毛が丸々抜け落ちて、生え変わる。これがカニか蛇のように脱皮するなら楽でいいんですが、毛となると、毎日毎日少しずつ、といっても結構な量が抜けていくんです。

問題点は二つ。一つ目は、お掃除が大変ってことです。特に部屋の隅。空気の流れに沿って、空気溜りとなっている場所に、西部劇で転がっていく枯草ボールのように、ころころと。あっちの隅、こっちの隅と誇りと一緒になってたまっていくんですよ。毎日掃除機かけてもね。フローリングモップじゃダメなんですね。というか十分じゃない。モノが軽いからモップの動きで起こる空気の動きで舞ってしまうことが結構あります。掃除機は、吸い取りますから大丈夫ですが、うちのような掃除機でなく、本体から廃棄されるタイプのものだと、被害を拡散するかもしれません。

ルンバ、買うかなあ。結構猫飼ってるお家でルンバ使ってる方、多いですね。でもなあ。床にもの結構落ちてるしなあ、というか、落とすの私ですけどね。うん。まあそのうちね。もう少し調べてからにします。

ま、ともかく。換毛期の問題点は、猫が体をきれいにするために、体をなめる。その時に抜けた毛が胃の中に溜り、胃の中で毛玉を作ってしまうんですな。うまく吐き出したり、排せつできたりすればいいんですが、そうでないと、猫にとっては結構苦しい思いをするらしいですよ。用猫・海は時々食べたばかりのものを吐きます。まあ、そう言うもんだろうと思っているので、あまり心配しない。でも白猫ソラはほとんど吐いたのを見たことがない。上手く吐けないんじゃないかなあ。

20120930_065416_p1040517ということで。猫が毛をまき散らす前に、猫をブラッシングして、余分な毛を取ってあげましょう。この問題は猫飼いすべての方に共通する問題ですんで、いろいろな製品が売っています。猫によって好き嫌いがあるんです。以前いたダダが好きだったこれは、ソラはなんだか苦手みたいです。ブラシが細い金属でできているせいか、当たりが少し強い用ですね。ちょっとブラシをかけてると、嫌がって噛みつくマネをします。その割に毛が取れない。いや、ダダの頃はこれでもかってくらい、取れてたんですが、毛の質に合わないせいか、ソラの場合はそんなにとれないんです。

いいものはないかなあ、とネットで探していたところ、毛が取れる、と評判のものをふたつ、みつけました。ファーミネーターって製品と、フーリーって製品。どちらもネット上の評判は上々です。お値段は、最近こなれてきたファーリーのほうがかなり安い。2500円くらいでしょうかね。並行輸入品だと、もっと安い。フーリーはずいぶんお高くて6000円くらいします。同じような評判で、これだけの値段の違いなら、ファーミネーターの方が試すのにはよさそうです。

ただデザインがなあ。ファーミネーターの持ち手の色と形が可愛くない。いい歳したおっさんの選択理由が可愛いかどうかってのも、どうかとは思ったんですが、まあね。逆に3000円の違いで、微妙に気に入らないものを持つのもイヤだ。と思ってしまいました。

20120917_100742_p104046120120917_101008_p1040465_2というわけで、フーリーです。黄色。黄色が好きなんですよ。先日買った時計も、周りが黄色だったりします。まあ、色は好みなので、お好みのものをどうぞとしかいいようがありませんが。しかし、このブリックパック、というやつは、どうにかならんのですかね。アメリカ人何を考えて生きているんだ。ヘイ、ジョン。諸君はこんなあけにくいものをバッサリとあけられるほど、パワフルなのかい?いやいや無理だろう。最近はちょっとか開梱しやすいブリックパックも出てきましたけど、基本は開けにくいし、開けたあとのゴミも捨てにくい。切り開けたパックの角がゴミ袋を切り裂いてしまいますよね。これはねえ。どうにかならんのかな、と思います。

フーリーは替え刃式になっていて、刃先を潰してしまったりサイズが合わなくなってきたら交換することもできるようです。ま、しかし。こういうものは歯が一番高いので、替え刃式だからお得、というほどのものでもないですな。

20120917_102202_p1040468で、ブラッシングの結果ですが、確かに取れます。毛をむしり取るような感覚はなく、何度か滑らせているウチに、毛がどんどん抜けていく感じです。ちょっと問題がありましてね。抜けた毛を全部フーリーの歯が梳きとって、溜めてくれるというわけではないのです。抜けた毛が、猫の身体の表面にふわふわと浮き出す感じです。当然、座って一緒になっている私の足下も毛だらけです。

猫はそれほど嫌がりませんが、こういうものって、猫、そのうち飽きるんですよ。飽きたら勝手に立って歩き出す、あるいは走り出します。その時に、体に毛が着いたままだと、ふわふわと部屋中に毛が舞うことになります。少し手早くブラッシングをして、手で猫の体を撫でて、集める、という作業が必要です。さらにローラー式粘着テープを予めご用意いただいて、自分の洋服にかける、という手間は外せません。

これね、まだ体に十分な身がついているとは言えない仔猫には、うまくかかりません。仔猫もまだブラッシングになれていないので、仔猫の方に使うのには、もう少し時間がかかりそうです。

なかなかいいですよ。でも万能じゃない。掃除はやはり必要です。まあそれは猫がいてもいなくても、ですけどね。となると、やはりルンバか。うーん。そのうちルンバの報告もするかもです。

2012年9月14日 (金)

ソラはとてもいい猫なんですよ 新猫・海の立派な兄ちゃんであります

20120909_081748_p1040283人生、山あり谷あり。別れがあれば出会いもある。苦あれば楽あり。去年の夏からは苦ばかりが多いような1年でありましたがね。それでも、我が家に白猫ソラがやってきて、ウジウジと独りで苦しんでいることも減りました。何より、ソラを満たしてやらないといかん。自分のことはさておいても、この猫が幸せであることは、私の生き甲斐でありますわね。

人間、生きていくために必要な支えは、ほんとに些細なものです。が、それがあるから生きていける。うん。でもソラはどうなんだろう。猫ですからね。あまり多い欲望はありません。食うことと、可愛がられること、安心して寝ることができる場所があること、その3つをかなえてやれば、まあまあ幸せなのかな、と。

猫の本を見ると、猫と言うのは元々自分のテリトリーの中で単独行動をする動物なので、仲間はなくても困らないそうです。ふむ。まあ、世の中を見ると、あちこちで猫が共同生活的なことをしているのを見ますが、動物本来の姿からすると、集団で行動する動物ではないですわねえ。ただ、現実的に、どうもね家猫の場合1匹だけだと、ボケやすい、というか暇すぎて脳を使わないんじゃないですかね。以前のダダがそうでした。五歳くらいでめっきり老け込んでしまって、どうにもお前は爺なのかと。

そこにタクがやってきました。凶暴な野良上がりの猫でしてね。温和なダダがそばに行って舐めてやろうとしても、シャーっと威嚇音を出します。結局、生涯2匹が寄り添う姿は見ませんでしたね。互いに存在を無視していました。でも、タクが来てから、ダダの生活に張りが出たのは確かなようでした。若い猫のように、走り回ったり遊んだりする姿が戻ったんですね。
 
ただねウチも共働きなので、というか旅に出てしまうこともあり、お留守番は度々です。猫、1匹で寂しくないかなあ、とかね。思うわけですよ。以前は、ダダとタクがいたので、まあ正直あまり仲のいい猫たちではなかったですけど、時々鼻をつき合わせて臭いを確かめるくらいのことはしてました。二匹いたら、まあそれなりにトラブルもあるけど、つまりはそれって刺激があるってことですから。お留守番の退屈解消の一つにはなるかな、と。
できれば、どこぞの猫ブログにあるように、猫が寄り添って寝るような姿を見てみたいもんだ、という希望はありました。ダダとタクでは、無理な話です。

そんなことを思うと。白猫ソラが幸せに伸びている姿を見ると、まあ一生もうこの猫だけでもいいかな、とか思ってもいたんですよ。

20120911_204652_p1040369ところがご縁がありまして。白猫ソラを頂いた方から、三毛猫いかがですか、ってご連絡があったんです。うーん。うーん。どうしようかなあ。ソラ来た時、大変だったからなあ。仔猫かあ。また遊ばなきゃならないし、それに今度はソラがいるから、ソラの時みたいに集中して遊んでやれないよなあ。ソラもなあ、いい子なんだけど、他の猫と馴染めるのかなあ、どうなんだろうなあ。うーん、うーん。

でも1時間後に返事しなきゃならない。でも、猫、困ってるんだよね。行くところなくて。いくらでも飼えるうちじゃないから、2匹が限度。うーん。

とりあえず、会ってみるか。ってことは、つまりウチに来るってことだよなあ。うーん、ソラ大丈夫かなあ。遊んでやってくれるかなあ。ああ。でも考えていてもしょうがない。いつかは2匹で遊んでくれる。ようになる。と思おう。

まあ、とりあえず、猫。おいで。お前の名前、もう決まっているから。海(ウミ)ちゃんだよ。要するに空と海、です。ということで、海がやってきました。海はサバトラに近いぼさぼさした色合いの三毛猫です。また細っこい体です。そういえばソラも来たときはそんな体形でしたわね。海は、人懐こい猫のようです。すぐに慣れてくっつきたがります。トイレの場所もすぐに覚えました。

20120909_175834_p1040303問題は、ソラ。ソラはねえ。ちび猫が怖くてたまりません。どうも仔猫の時に他の猫たちと暮らしたことは記憶のどっかにとんでしまっているようです。物音を立てる不思議な生き物が現われて、俺様のテリトリーで何かやらかしてやがる。

そんでも、ソラが新しい猫が調子に乗ってるのを、シャーッと威嚇して、好き放題やってるやつに猫パンチの一発も食らわすような猫なら、むしろ安心するんです。ところが、白猫ソラったら。リビングにおいたケージの中で、海が騒ぎまくってる音を聞きながら、私の仕事部屋に逃げ込んで、カーテンの裏に隠れて固まってしまっています。ケージの臭いでもかぎに云ってくれると安心なんですが、もう音がするだけで怖い。まる一日固まっていました。

奥さんはねえ、ソラがかわいそう、って言うわけです。まあ、そりゃあねえ。我が家は白猫ソラの天下だったわけですから。しかし、いつまでも海をケージの中に入れておくわけにはいきません。海もストレスが溜ります。もういいや。出しちゃえ。対面させちゃえ。白猫ソラがシャーって怒るでしょうけど、とりあえず二匹とも爪は切っておきました。猫パンチくらいじゃ怪我はしない。出会わせて、しっかり見ていてやろうと。

案の定、ソラ、怒ってましたねえ。今まで見たことのない様な般若顔で、シャーッて言ってました。高いところに上って、海の動きをずっと追いながら、時々シャーって言ってます。まあいいや、この程度なら。海は全然気にしてません。ときどきソラのそばに行って、わざと寝ころんだりしています。

人間が気を遣っています。ソラがシャーって言わないときに、「ソラ、いい子だねえ」って、そーっと触ります。海が動いて、ソラが警戒し始めると、慌ててソラから離れます。ソラから見えない場所にいるとき、海の遊び相手をしてやります。

20120910_173453_p104036420120914_075223_p1010999半日くらい、そんなことをしておりました。するとね、ソラはシャーシャー言いながらも、海をずっと見てるわけです。海の方は、ソラのことなんか全く気にしないふりをしながら、あちこちを歩き回っております。そのうちに海が、ソラの寝床の一つで寝始めたんですな。ソラ、猫パンチを食らわせに行きます。でもね、当てないんですよ。直前でパンチを止めているんです。海はそのパンチを喜んでおります。あらあら、なんだかうまくいきそうだぞ。

そのうちね、ソラがリビングのいつもの場所に寝っ転がって伸びをしました。顔がすっかり普段のソラノ顔に戻っています。ちょこちょこと海がやってきて、ソラの臭いをかぎます。ソラ、海を追いかけて寝室まで走り込んでいきます。寝室からリビングに戻ってきたときには、海がソラを追いかけておりました。

走る走る。食事中のテーブルの上も気にせず走る。もうあからさまに遊んでいます。ソラが延々と海の遊びに付き合ってくれるおかげで、ソラがウチに来たときのように、ずっと海について遊んでやらなくても、海は十分満足しています。

20120914_155217_p1040401_310年前からこうしてくらしていたように、二匹でなじんで暮らしている猫たちですが、まだウチに帰ってきたときに玄関に迎えに来てくれるのは、ソラだけです。海はまだそこまで覚えてません。でもソラが飯くれ~って鳴いているときに、いっしょに来ると飯を貰えるのは覚えたようです。猫二匹。長生きしてくれるといいなあ。と、しみじみ思うのです。

2012年4月27日 (金)

iPad生活を始めると世界が変わるよ、とか言うけどね①

20120422_082559_p1030917騙された気がする。いや、ね。白猫です。ウチに来た日の白猫ときたら、そりゃあもう大人しくてね。その夜に、ベッドの中に入ってきて、脇の下にもぐりこんで、くーくー言って寝てたんです。ああ。

ダダもね、ずっとそうしてくれたんです。いや、それどころか概ね午後10時ごろになると、にゃーっと鳴きながら仕事をしてる私のPCデスクサイドまでやってきて、寝室まで先導して歩きました。私が横になると、脇の下に丸くなって、伸ばした腕を枕に寝ていたんです。しかも。私が寝付くと、自分の好きな寝場所に移動して寝ていたらしい。優しい猫でした。

まあねえ。勘違いしちゃいけねえ。ダダが私のことを好きだったのは間違いないとしても、その後の行動は、長年培った生活パターンによる習慣です。10時か11時に寝る、というパターン。布団の中に入れて撫でてやるというパターン、声をかけるというパターン、快の刺激による条件付けで、人間と猫にとっての望ましい生活パターンができたんです。

そう言えば、20年前のダダは結構悪い子でしたよ。寝る時間になっても遊び足りないときは、布団の中で動いている脚や手にアタックをかけてくることもしばしば、夜中に飯をくれと起こしに来ることもしばしば、猫飼いになれていなかった頃はマジギレしたりしたこともありますな。

ああ、更に話はずれますけどね。感情の暴発というのは、人間にとってやむを得ないものだとは思いますが、暴発される他人にとっても嫌でしょうが、自分にとっても望ましくない。自分が嫌いになるから、できるだけ止めたほうがいい。奥さんに対してであれ、部下に対してであれ、あるいは電車の中ですれ違う人に対してであれ、ですなあ。猫にキレちゃったことすら、20年経っても後悔しますもの。そゆことも歳をとると、少しくらいは学習します。ま、とにかく。

20120418_192455_p1030901白猫ソラです。一緒に寝てくれたのは、ウチに来たその夜だけでした。まあ、その後は元気な仔猫。今や元気な若猫です。今一番のお気に入りは、かくれんぼ・鬼ごっこです。猫飼いの人ならご存知でしょうが、猫は自分が隠れたのを見つけてもらう遊びが大好きです。

基本、猫の脳は言語を理解する能力を持ってないので、こちらが何を言ってるかは理解していません。ところが、おかしなことに、あたかもこちらの発する言葉を理解するかのような行動をすることができます。例えば、「あれ、ソラチがいないぞ?」と声をかけると、隠れるんです。

幼児と同じで、目が合わない限り、自分は隠れていると認識しますので、尻尾どころか体丸出しで、頭だけ隠しています。それでも、見つけることができない振りをして、「ソラ?ソラチはどこにいったかな?」と呼びながら別の部屋に移動すると、ンギャアッと鳴きながら、凄い勢いでわざと横を駆け抜けていきます。どこかの部屋に移動して、興奮して体毛を立て膨らませて、見つけられるのを待っています。「いた!」と声をかけると、またンッギャアっと声を出しながら、駆け出します。

途中で面倒くさくなって、放ったらかしていると、にゃあ?と様子を伺いに来ます。こうした一連の行動を見ていると、ああ、会話してるんだなあ、という実感がわきます。猫、いいですよ。

しかしですね。実のところ、「どこに行ったかな?」でなくとも「ほにゃげらほにゃげらら?」でも同じように反応するんじゃないか、と思います。が、それはね、人間がそんな無意味語を同じアクセント、調子で発することはできないし、第一、むなしいじゃありませんか。で。同じ場面に同じ調子で同じ言葉を発する。それに対して、猫は言語ではなく状況を理解し、行動する。互いの利益が一致する。ふむ。

理屈はともかく。心温まる時間であることには違いありません。

20120418_221947_p1030911で。白猫ソラであります。老猫ダダのように、適切な行動パターンもまだ定着しておりません。一緒に寝てくれません。ああ、明け方には布団の中に入ってきますよ。喉を鳴らしながら頭を押し付けてきます。胸の上に乗ったりします。が。私は知ってます。これはね、飯が欲しいだけです。ソラの、人の起こし方がそうなんです。そうすると、私が目尻をたらして起きてくる、ということを学習してしまっているからです。くっそう。可愛いじゃねえか、ちくしょうめえ。ってことですな。

でも。騙されてますよ。

さて。そうした猫族の一連の、「可愛いじゃねえか、このばかやろう」的行動の一つに、床に広げて新聞を読んでいると、読んでいる新聞の上に座る、という行動が見られます。同様に、PCに向かっていると、キーボードの上に乗ったり、モニタの前に座ったりします。人がいない場合には、そうした行動をとることはありませんので、明らかにこれは「構ってくれ」と主張していることがわかります。

でね。前にも言いましたが、ブログの文章を打つような作業をするのも、一苦労なんですよ。私がリビングにいてTVを見てりゃあ、猫は何も気にせずそこらへんで寝ているくせに、自分の部屋に行くと必ず起きてにゃあと鳴く。ブログはおろか、WEBブラウジングもままならない。まあ、大してチェックするページも無いんですが、そんでもITニュース系のサイトのいくつかは毎日見ています。これが見られないと、いやだなあ。困ったなあ。

リビングにいると平気なのになあ。そうだ、リビングで見よう。ということで、ノートPCを引っ張り出してきたんですがね、これじゃ問題解決になりませんでした。問題点がいくつかあったんです。

第一に、WEBをちょこっと見るためだけに起動を待つのが面倒くさい。第二に、食事をするテーブルにPCを置くと邪魔臭い。第三に、同じような理由ですが、マウスまで置けん。がマウスがないと操作しずらい。さらに、これまで使っていたレッツノートなんですがね、軽量小型高精細画面で長時間使用可、という実にモバイル向きな素敵なノートパソコン。なんですが。高精細すぎて、老眼では文字が読めない。表示を拡大すると、一覧できる画面が狭くなる。結構、リビングで、ながら見をするには向いてない、ということがわかったんですな。やはりPCはお仕事向きです。

というわけで、iPadを買うことにしたよ。というお話でありました。長くなったので、iPadの話はまたいずれ。ですな。

2012年3月 9日 (金)

猫トンネル SPORT PET キャットトンネルスパイラル最強

KEBELの話はちょいと置いて。なんでかっつうと、週末となると雨になるせいで、ろくに乗れんからです。ちょいとお茶を濁します。

というわけで。金銭感覚というものは、わからんですねえ。って話。

40万の自転車を衝動的と言っていいくらいの判断力で買ってしまう私ですがね。普段は実につつましいもんです。まずもって友達付き合いが少ない。親戚付き合いも少ない。したがって交際費が少ない。まあね、部下と呑みに行くときくらいは金を出しますがね。昭和の昔と違って、そうそう部下に誘われるわけじゃないし、こちらも我慢して付き合わせようとか思わない。

若い者と呑みにいく、という文化を、我々自身が若者だった頃に鬱陶しいと思っていた世代ですから、自分がおっさんになったときに、そういうことをしたいと思いません。だいたい、若者と呑みに行ったって、いいことなんか何もない。わけではないんでしょうけどね。ノミニケーションってやつですか。

しかしねえ。ああ、ちょっと話がぶれますが、無礼講ってやつほど怖い飲み会はない。大人になると、つくづくそう思い知ります。ねえ。上司が「今日は無礼講だから、好きなようにやれ」と言ったんで、上司の目の前で本人の悪口を言った。上司もニヤニヤして聞いている。んで。3ヵ月後の異動の発表で、思い切り地方に飛ばされた、なんてのが典型的なパターンですよな。

しかしね。逆に上司の立場に立ったとき、これはこれで、実は私は苦手なんです。まず部下がエライ場合。エライというか人ができているというか。この場合はですね、概ね上司が話し始めると、その人生譚を傾聴してくれるわけですよ。その上司という職に相応しい生き方をしてるならいいんですけどね。私なんざ、このブログを読んでる方ならご存知のように、脳が餓鬼のまま役職だけは付いてきたという、ろくでもないおっさんなんでね。傾聴されると、こそばゆくてしょうがない。

世の中の話なんか、もっともらしく語っておりますがね、人類が生まれて数万年だか数百万年だか、明治維新以降に限っても100年以上の年月があるわけです。そんだけの間に、人の苦悩も成長も、ある意味語りつくされておるだろう。こんなおっさんが今更語ることにどれほどの意味もないぜ、とか思っちゃうんです。自分で体験しなきゃわからんよ。とね。教わっても無駄。自分で学んだことだけが残る。痛い思いをしなきゃわからんのよ、とね。

そんなひねくれたおっさんなんで、若者が襟を正して話を聞こうなんてされるのが、鬱陶しくて仕方がない。かといってですよ。こっちがですな、くだけた話をする。ね。若者うけのしそうな話を振って笑いを取る。飲み会が終わった後、まずまず笑いが取れていたとしましょう。そこで考えるんです。

若者諸君が気を遣って笑ってくれたのかなあ、とね。その段階で落ち込みますよな。いやいや、もう気を遣うような気配もなく呑んだくれて大騒ぎになっていたとします。そこで、また考えるわけです。なにゆえに、このいい歳したおっさんが、場を盛り上げるためにバカをやってるんだ、と。更には、いろいろとうけを狙って部下いじりをした。ね。それってひょっとしてパワハラ?いや、相手が女性なら、それってセクハラなの?とかね。考えてしまうと、また落ち込む。

とどのつまり、性格の問題なんでしょうが、金を払って、いずれにせよ落ち込むはめになるんです。これなら、若者が呑みに行くなんて話を振ってきたときには、これでも足しにして楽しんできてね、っと飲み代を渡して、自分は猫相手に家呑みをしていたほうがよほど幸せってもんです。同じ金を払っても落ち込まなくて済みますからな。

なんの話でしたっけ。金銭感覚か。無駄遣いはしませんよ、って話です。

いや。キャンプとか山とかの用品は、確かに買う。しかしあれはね。奥さんが買っているんであって、私ではない。ということにしておいてください。少なくとも家計簿的には、私の小遣い帳から支出するわけではないので。夫婦二人と猫一匹が幸せに生きていくために使うお金は、それは家計として計上していいでしょう。ね、そうでしょう。

20120309_191608_p1030778しかし、一匹のほうは、意外とお金を食いますよ。一個98円とか118円の猫缶、猫パックを一日3~4個。食費だけで500円。仔猫のうちは活動量が多いから、まあよく食う。それなりの活動量を確保するために遊んでやってるってのも、当然あるんでしょうが。しかし、猫は飽きやすい。一つのおもちゃに夢中になっていても、数日もすれば全く興味を示さなくなる。パタッと飽きますな。すっげえお気に入りで消耗するから、予備を買っておこう、と考えて買ったものの多くが、デッドストック品となります。

無駄とまでは言わないです。何週間かすると、また思い出したように遊んだりしますから、無駄にはならない。かもしれない。しかし、餌は、たとえ猫用といえども賞味期限がありますから、半年も飽きられると、捨てるしかなくなります。困ったもんだ。っていうか、買いだめするな、と思うんですけどね。でも、ほら、また地震とかあったらストックないとマズイですよ。あるいは週末買い物にいけないことだってあるわけだし。と思って、ストックは常に1か月分くらい買ってしまいます。

しかし、飽きやすい猫に合わせて、新しいおもちゃを買うと、これはもう。猫1匹当たり月2万円近くはかかるんじゃないですかねえ。もちろん飽きられて無駄になった猫缶とかも含んでの話ですがね。健康診断なども入れると、そりゃあもう。貧乏人は猫を飼うな、ということか。まあキツい言い方ですけど、ある面それは正しい。と思います。猫といえども命を預かるんですから、それなりの環境を保証してやれることは、飼い主の責任でしょう。じゃあ、野良として放置したほうがいいのか、なんてえことを考え出すと、迷宮の中に入りますんで、ご注意ください。

20120303_133213_p1030741ということで。おもちゃ。最近のお気に入りはこちら。通称猫トンネル。最近と言っても、ここ1ヶ月以上これで遊んでいるので、流行と言うよりは、やはりお気に入り。と言っていいんじゃないでしょうか。

猫タワー、これはですね。特に気に入るとかいらないとかではなく、普通にそこで生活する場所としての認識しかないようです。まあ、柱で爪とぎするくらい。猫トンネルは、かなり強力な遊び場所です。隠れ場として、わくわくするらしいですな。周りがカサカサ音がする素材でできている、これもときめきの要素です。猫が中に入っているときに、周りを触ってやると、中からアタックをかけてきます。それはもう激しく攻撃するんですが、意外とこの素材、強い。猫の爪の先は切ってはいますが、それでも激しくキックしてても敗れたことがないです。

20120303_133109_p1030734加えて、これポップアップ型なんですよ。フレームとして中に鋼線が入っていて、折りたたむこともできるし、手を広げるとポンっと広がる。まあ、こんなもんを携帯することもないんで、ポップアップすることによる携帯性の利点、なんてものは存在しません。っが。この鋼線の弾力。これがですね。実はかなりのお楽しみゾーン。ソラはこのボックス状の天井に飛び乗ります。当然つぶれるんですが、それが面白いようです。飛び乗る、つぶれる、降りるとまた膨らむ。つぶれるときにある程度衝撃を吸収するようで、手足を伸ばしきったまま飛び乗っていたりします。バカですねえ。バカ可愛いですねえ。

最近は、ベッドの上での猫釣り遊びより、ひたすらこのトンネルの中を駆け回っています。20120309_191656_p1030780

ああ、もう一つの利点としては、とても軽いので、遊ぶときは部屋の真ん中、邪魔になるときは部屋の隅に、ぽんと投げておくことも簡単です。まあ、お客様が来るなら、たたむことも可能ですしね。うち、客は来ないですけど。

当然のことながら、はい。ストックは買ってあります。バカですねえ。

2012年1月 9日 (月)

仔猫のためにキャットタワーを買った ADD.MATE 猫のおあそびポール お魚ファミリー ハイタイプ  

20120108_092232_p1030566仔猫がうちにやってきました。悪魔であります。いやいや、二重の意味で。第一に、猫が何をしでかすかわからないという意味で、第二に猫が何をしても許される、という意味で。保護主さんよりいただいてきて、僅か半日で王様のように家中を支配しております。貴様なあ、可愛いってだけでなんでも許されると思ったらなあ、まあその通りなんだけどなあ。というような状況であります。

成猫はいい。ダダにしても、タクにしても穏やかでねえ、のってりのってり歩いてきて、ごろんと横になる。タクの場合はぴょんぴょんと跳ねながらやってきて、ちょこっと触らせて、またぴょんぴょんと跳ねるように歩いて自分の寝床に行く。眼をうっすら開けて、小さな声でみぃと鳴く。とはいえ、成猫の時期はこれからいくらでもありますが、仔猫の時期は一瞬ですからな。まあ、しばしお付き合いさせていただきましょう。

さて。ところがですね。まだ仔猫の性格がわからんので、表情が読み切れないわけです。無表情、としか捉えられないことがあるんですな。これが怖い。無表情、つまり何をするかの予想が付かない。猫ってやつは野生のスイッチがありますからな。まあ人間でもありますが、パニックってやつです。こいつが入ると、相手が飼い猫といえども判断力をなくし、野生と化します。獣全開になりますんで、そういうときはそっとしておいてやります。

でね。仔猫。「そら」という名前をつけました。ヤギの名前ではありません。ちなみに、このフレーズがわかるのは、西武線沿線、特に飯能を過ぎて秩父に至るあたりにお住まいの方だけですんで、それ以外の方は全く気にしないで読み飛ばしてください。とにかく「そら」という名前です。

仔猫はふわふわです。全身がバネのように弾みます。どわーっと走り出して、ぽーんと跳んで、布団の中にもぐってきて、一緒に寝て、もりもり食べます。で、もりもり出します。まあ、出したモノのことはさておいて。

いやいや、出したモノの話、大事ですよな。今回、システムトイレという新しいトイレを買ったのですが、これにソラが慣れてくれるか、ドキドキですよ。実は以前、ダダとタクのために買ってやったことがあるのですが、年寄り猫は新しいトイレを嫌がって、一度もしてくれないので、捨ててしまった哀しい過去があります。

ソラが来てから、初トイレまで7時間。ソラも耐えていたようでありますが、こちらもじっと見守って我慢。トイレが済むまで安心できんです。システムトイレのことやら、猫砂のことやらをお知りになりたい方は、検索かけてみてください。ここよりよほど役に立つサイトがたくさんあります。へへ。

20120109_194108_p1030597でね。だーっと走るソラのために、キャットタワーを買いました。キャットタワーを買うのは初めてであります。以前の猫、ダダとタク、なんだかいつの間にか大きくなって、タワーを買うような時機を失してしまいました。タワーが無くとも、階段状に家具の配置を工夫して高低差をつけたのでいいかなあ、と。

ただ、ソラの場合はチビ猫が来るってわかってから時間があったので、あれも用意しよう、これも用意しようとね、まあ言わば初孫が生まれる前の爺婆のような気分ですよ。あれも買ってやれ、これも買ってやれ、ですわね。

キャットタワーは窓際に置くことにしました。ここなら、猫ひなたぼっこ用に使っていたワイヤーシェルフやら階段状になったタンスやらに跳び移ることができます。ただ、この窓の部分、中途半端に低いんですな。高さが190cmしかない。ソラが巨大猫化しても使えるようにと、一度は突っ張り式のタワーを検討したんですけど、このサイズは中途半端で、あまりないんです。

あちこちのホームセンターで実物をいろいろと見てたら、据え置き式でもそれなりに土台が大きいモノは、それなりに安定してます。まあ、こんな感じでいいかなあ、とね。でも実店舗で選ぶのは、いや見せていただいた以上できるだけ実店舗で買いますが、つうか買わせていただきたいですが、しかし実店舗では猫タワーの選択肢が少ない。ほぼないのです。まあね。しょうがない。楽天です。

20120107_200053_p1030536というわけで、届いた猫タワー お魚ファミリーハイタイプです。こういうのは、概ね中国で作られていると考えて間違いないですな。中国だからいかん、というわけではないですが、残念ながら安全性とか完成度とかにおいて、十分な品質管理が行われていない製品があるのも事実です。

中国製猫タワーのよく聞く問題点として、接着剤やら素材やらの匂いがキツイという話、ホルムアルデヒド出まくりなんだろう、という話。とりあえずこちら、匂いはあまり感じません。個人的に鈍いということは否定しませんが、奥さんも気にならないといってたので、とりあえずは大丈夫なんでしょう。

組み立てやすさと、それに関わる精度ですが、こちらもそれほど問題にはなりません。敢えて言えば麻のロープを巻いたポールを立てようとするとき、手のひらにトゲトゲが刺さりそうになる、という問題はありますが、これはまあ、製品の問題ではなく麻の紐の問題ですしねえ。まあ日本製品ならもう少し手にも優しい縄を使うでしょうがね。でも、猫が気にしないならいいです。

20120107_200217_p1030543がっちりとネジを回しきれば、とりあえず2kg少々の家の仔猫が全力で駆け上がっても大丈夫です。こいつが7kgに育ったとき、全力で駆け上がったら、ああ、そりゃあダメだわ。つうか、もうそうなったら天井に固定するタイプでないと耐えられるはずもない。とりあえず仔猫のうちに使い方を覚えてくれよ、と期待しておきます。猫にね。

で。こちらの製品名ですが、お魚ファミリー、というのは踏み台が魚の形をしているところから来ていると思います。が。この点においては、猫は全く気にしてないですし、喜んでもいない。完全に、人間の考えすぎです。家の場合はツートンのシックな色合いと高さと、適当であろうという段差について、気に入って購入を決めましたが、魚の形の踏み台かどうかは、私にとってもどうでもいい、というか、商品の写真を見ても魚なのかどうなのか、よくわからんので意味がないこだわりのような気がします。まあ、いい。

耐久性は、よくわからんなあ。これ、製品としてはとことん強いとかいうもんではない、ような気がします。支柱の麻の部分はともかく、踏み台や柱の絨毯まきの部分、ここはそうとう柔な素材感です。でもねえ、いくら頑丈でも気合いの入った猫が、気合いを入れて使えば、ダメになります。ガジガジ囓るのが好きな猫なら、その囓る部分は確実にダメになります。そういう意味では、耐久性より、むしろパーツが交換可能であるかどうか、そっちのほうが大事だろう、とね。思うわけですね。

20120109_211440_p1030610とりあえずまだこちらの製品、そこまでは使い込んでおりませんが、ネットで調べた限りにおいて、少なくとも交換用支柱は売っております。そういう意味では、まあ少しいいんじゃないかなあとか思っているんですが、踏み台の部分が消耗したら、それはまあどうしようもないんだろうなあ、とも思うわけです。

仔猫来て、大忙しです。ブログの文章作るのも、猫が油断してる隙を狙って、速攻です。文章校正とか、ますますいい加減です。すまんです。

ダダとタク、ねえ。おまえたちがいなくなって、お父さんは相変わらず寂しくて苦しくてしょうがないけど、でもねえ、ソラってチビ猫がウチに来たんだよ。ソラはソラで、おまえたちの代わりにはならないけれども、大忙しでお父さんとお母さんはチビ猫の世話をしていて、ダダとタクがねえ、写真の中で目を細めているのを見て、お父さんはねえ。ああ、一緒にいるんだなあって思っているんだよ。

まあ、そんな話です。

2011年11月23日 (水)

生きる

Img_0066_2生きるということは、なんでありましょう。哲学者の中島義道氏は、人生に生きる価値はない、と言い切りました。古くはニーチェの「神は死んだ」も、誰か(神)が人間に生きろといっているという幻想は死んだ、と、そういうことだったのであったのか、などと今さらながらに感じております。

たくが死にました。たかが一匹の猫であります。恐らくは、世界中の何百万もの猫、あるいは我が家の近所にいる野良猫の、どの一匹とも変わらない猫であります。しかしながら、私はだだが死んだ後、たくによって生かされていた。生きねばならぬ理由をもらっていた。

戯言であり妄言であります。端的に言えば、ただただ哀しい。何万という人が死に、今もなお何十万という人々が苦しんでいる、そういう現実を突きつけられようと、今はただ、目前の猫一匹が死んだことが、胸掻きむしるほど苦しい。齢50を越え、未だにそんなところにいます。

人というのは、なんでありましょうなあ。

しかしまた、出会いがある。今はただ苦しいけれども、また出会いがあり、生きていくことができるのでしょう。それでよしと、今はしましょう。

2011年11月20日 (日)

なんという一年だろう、と思うのですよ

また、暗い、自己憐憫のドツボの中にいる独り言です。人様の役に立つ話ではありません。書くことによって、自分が落ち着きたいだけなのです。

光陰矢のごとし、歳をとると月日の経つのはあっという間です。20年一緒に暮らしていた猫、だだが逝って3ヶ月。独りでいると突然に嗚咽がこみ上げてくるようなことは、ようやくなくなってきました。でもね、玄関を開けると、まだそこに猫が寝ているような気がしてしまうのですよ。

先日、他界した叔母は、長く伏せっていましたんですが、亡くなるしばらく前に言うとったそうです。80年以上も生きてきたが、夢のようやったなあ、とね。楽しかったなあ、とね。

楽しいことばかりの80年であったはずがありません。幼い頃に母を亡くし、戦争中の苦しい時代を、水道もないような山奥の村で、母代わりに兄弟たちを育て、壮年の頃には祖父の介護に明け暮れ、晩年は一緒に暮らしていた孫が、アルコール依存症で人を死なせるような事故を起こし、娘夫婦は経営していた会社が破綻し、家も失いました。楽しいことばかりであったはずがないのであります。

それでもね。亡くなる間際には、家族やら親族やらが枕元に駆けつけて見送りました。叔母はそういう人でありました。駆けつけられるような人生を送っていたのでありましょう。いろいろとあった中を、楽しかったなあ、夢のようやったなあと、言葉にするような生き方をしてきたのでしょう。

20111010_102041_p1030168感傷的になっております。実はこの頃、家にただ1匹残った老チビ猫の体調が良くなくてです。また、いろいろと考えてしまうのです。

この老チビ猫、といっても先日亡くした猫よりは相当若い。今年15歳くらいのはずです。拾った猫です。家の前をうろうろしている子猫がいましてね、酷く警戒心が強い。よく見ると左の後ろ足先が怪我をしている。すぐに隠れてしまうのでよく見えないが、おそらく足の先がない。なにかで切断されたようです。野良で怪我をした子猫、そう長くは生きないだろうなあ、イヤだなあ、見ちゃったなあ。しかし、見ちゃって、気になってる自分がいる以上、そのままにしておくのもイヤだなあ。そう思いましてね、捕獲を決意しました。

怪我をしているせいか、それはそれは警戒心が強い。もとより野良猫です。餌で気を引きつつ布袋に放り込む、という作戦を立てましたが、これがまた大変な抵抗をされまして、押さえた方の手が血だらけになりました。もちろん私の血であります。

とりあえず病院に連れて行かねば、ということで、いつも行っていた近所の小さな動物医院に行きましたが、手術する施設もなくできない、ということでありましたので、どこに行けばいいのか途方にくれました。結局のところ、家より2時間ほど離れた大学付属の動物病院にまで連れて行くことにしたのですが、さて15年も前の話だったのでそれがどこだったか。とにかく診断の結果、骨が切断されているので、脚を残して中途の長さにすると、動物ですのでね、またそこを使うことで悪化させる、大腿から切断する、ということになったのです。

まあ、仕方ない。思い切った処置ですが、適当に連れて行った病院ではない、大学付属の病院です。そんなお医者さんが言うんだから、間違いはないだろうとね。それはもう信じてお任せするしかない。

それにしてもたいそうな手術です。しかし、猫は無事に生き残りました。ただ、酷く警戒心の強い性格もまた、残りました。触ってやると喉を鳴らしてゴロゴロ言うのですが、次の瞬間シャーッと威嚇音を出して、爪を立てたり、噛んだりします。恐ろしいことこの上ない。手加減しませんからな。

構ってやりたくても構ってやれない。それにもう一匹の主がいましたんで、チビ猫を構ってやると必ず主がやってくる。主もね、一匹だけ可愛がられていたところに、突然凶暴なチビ猫が入ってきたんですから、心中穏やかならぬものがあったはずです。まあ、猫に心があるとして、ですが。それでもね、5年10年と過ごすうちに、徐々に我が家の猫となっていったのです。とはいえ、抱っこされるのもそれほど好きにはなりませんでしたけどね。

20111010_101907_p1030161しかし、後脚が一本ないわけですから、それはそれで体に負担はかかっているでしょう。本人は、もう当然としか捉えていないわけですが、端から見ると大変だなあ、段差があっても大変だろうなあ、と猫用の階段が家の中、あっちこっちに設置されています。人間にとっては大変に邪魔くさい。しかし、人は我慢できますが、脚のない猫には我慢ができない。そういうことであります。

粗相の多い猫であります。先住猫「だだ」が苦手でストレスが溜るのか、わざとのように度々ベッドの上に尿や便をします。食べたものを吐き戻すことも日常茶飯事でありました。

けれど、呼ぶと目をまん丸くして、にゃあ、と鳴くのです。触ってもいいかい、と聞くと、目を細めて、にゃ、と返事をするのです。家に戻ってきたときに、玄関まで迎えに来るのです。ご飯を食べるかい、と声をかけると、一本しかない後ろ足を弾ませて走ってきて、足下に座るのです。

老チビ猫は、さくらという名前でした。けれど、大吉という名前の猫をいつしかだだ、と呼ぶようになったように、さくらは「たく」と呼ぶようになっておりました。「たくちゅ」とも呼んでおりました。

P1020677たくちゅは、奥さんのことが大好きな猫でした。だだがいつも私の後をついて回ったように、たくちゅは奥さんの後をいつも追っていました。だだが逝ってようやく、のんびりと好き放題にくつろぐ様子も見せておりました。我が家のたった一匹の猫となったたくちゅは、好きなときに好きな食事を取れるようになりました。老猫でありますし、もとより脚が一本ない。そうそう長生きのできるような猫ではなかったのです。

だだが逝った頃、すでにたくちゅも痩せ始めておりました。ああ、ひょっとすると、たくちゅもそう長くはないのかもしれないなあ、そう覚悟をしてはいたのです。それでも、三本脚で、にゃあと鳴いて、跳ねて駆け寄ってくるたくちゅを見てると、もう1年、もう2年は生きてくれるかなあ、と希望をもっていたのです。

それが。どうにもいけない。このところ少しずつ食が細くなっておりましたが、とうとう食事をとらなくなりました。まだ水は飲んでおりますが、マグロも鰺も、牛肉も、鶏肉も、大好きだったサーモンも舐めるだけで、入っていません。いつも寝ていた場所でなく、ベッドの上にだらりと体を伸ばし横たわっております。呼んでも返事をしません。おそらくはトイレに行く感覚もなくなっていたのでしょう、ベッドの上で尿をしていました。

別れを、覚悟しています。別れることは覚悟しました。いや、覚悟ではない、諦めたというしかない。いや、諦めたと言えるほど、受け入れたわけではない。

二年ほど前の定期検診から、白血球の数値が異状だと言われていました。ただ、どうにも原因が分からない。おそらくは脳に問題があるのだろうけれど、では頭蓋を開いて原因を究明して、それで治療ができるものかどうか、さてわからない。そういうものなのです。今、病院に連れて行き、点滴で水分と栄養を補給すれば、1週間や2週間は生きられるのではないか、と思います。しかし、投薬ではない。すでに衰えた内臓や脳が、治療できるわけではない。改善するわけではない。引き延ばすだけです。

それでもなお生きていて欲しいから、点滴を受けさせる、という選択肢もあるのでしょう。ですが、私はそれをしない。たぶん、もうすぐ、おそらくは1週間ほどで、たくちゅもこの世界からいなくなってしまいます。だだと同じように。胃が痛い。心が痛い。苦しい。だだがいなくなったのに、なぜたくちゅもいなくなるのか。生きる、ということは、なんでありましょうなあ。答えなどないことがわかっているのに、問わずにはいられない。それが人であると言うことでありましょう。

来週の更新がなかったら、ああ、何事かあっただろうなあと、そう思っていただければありがたい。

2011年8月26日 (金)

別れ

先ほど。たった今。だだが身罷りました。午前2時。いつもと違う体を倒す音に、奥さんが気付きました。

小さなけいれんを繰り返しつつ、少しずつ命が体から抜けていくのがわかります。まだいるかな、と細くなった体をそっとなでると、一度大きく伸びをするように手足を伸ばし、動きが止まりました。

奥さんが、「息を止めたんじゃない?」と、耳を猫の体に当てました。確かに、何かがなくなりました。それを魂というのか、命というのか、わかりません。20年間、私と奥さんの間にいてくれた猫が息を引き取りました。

ありがとう。一緒にいてくれてありがとう。甘えてくれてありがとう。愛させてくれてありがとう。別れを告げさせてくれてありがとう。ありがとう。ありがとう、ありがとう。

2011年8月25日 (木)

哀惜離別、というのだそうです

今回、かなり個人的な話です。いわば自分自身に整理をつけるよすがとするために、書いています。つまらなく辛気臭い話が延々と続きますので、なんとなくにはご覧にならないほうが良い、と思います。

老猫が飯を食わなくなりました。もう3日ほども、ほとんど何も口にしておりません。今年の12月で、ちょうど20歳になるはずでありました。一緒にいられる日は、おそらくは、もう何日も残されていないでしょう。

P1020574「だだ」という猫であります。もともとは、もう少し立派な名前があります。「大吉」という名前でしたが、猫飼いの例に漏れず、猫可愛がりをしているうちに、赤ちゃん言葉になってしまい「だだ」になった、ということです。

だだが我が家に来たのは、20年前、お客さんが勤め先に連れてきた仔猫を、もとより動物好きだった私が引き取ったのです。今考えると、危ないだろうと思うのですが、その当時から猫バカだった私はシャツの中に仔猫を入れ、車を運転して帰ってきたのです。

当時、私は一戸建ての借家に住んでおりました。たまたまその日は奥さんより私のほうが家に帰るのが早かったので、玄関前で猫を抱いて奥さんの帰りを待っておりました。バイクで帰ってきた奥さんが、猫を抱いている私を見て、「ほんとに連れてきたのぉ?」と声を上げました。まだその頃は、奥さんは猫好きではなかったのです。私は、「誰か飼い主が見つかるまでの間だけ…」とモゴモゴ言いながら、猫のゴロゴロ鳴く音を胸で感じておりました。

しかし、そんな奥さんも、数日の間にはすっかり情が移ってしまい、誰が来てもうちの子は渡さない、そういう気分になっておったのです。

家には子どもがおりません。それはもうそれで、自分たちの人生として受け入れて、そうであるものとして生きていこう、そう決めておりました。30歳の私たちは、30歳なりに自分たちの人生の行く末を見つめ、生きることを決意しておりました。そのときの心構えがいい加減なものであったわけではない、と思います。ただ、本質的に、人は時間というものを体感的に捉える、というかリアルに想像することは難しいのだろうと思うのです。

猫は猫である。人ではありません。言語をもつことができない猫は、人間とは全く違う生き物です。猫は「明日」も「昨日」も理解していません。常にあるのは「今」です。例えば、旅行で猫を家に置いていく。もちろん、世話をする人を頼んでいきますが。おそらく、猫が寂しがる瞬間というのはあると思います。ただ「昨日からずっと」という言葉をもたない猫は、それを記憶しておくことができないでしょう。何とはなしに、寂しくて、ささくれるかもしれませんが、覚え続けることは難しい。逆に、1日ずっと猫のそばにいて声をかけてあげたとき、満たされ続ける「今」は存在しても、「ずっと可愛がってもらったから十分」という思いももつことはない。

おそらくは、猫の痛覚も、人のそれとは違うはずです。人間のように敏感であれば、野性の中で暮らしにくいことが多いはずです。例えば聴覚や味覚が失われたとしても、それを比較するための基準となる記憶を持ち続けられない以上、現状を現状として受け入れているだけであろうと思います。

それはいいとか悪いとかではなく、言語を持たない動物の在り方なのであろう、と思うのです。しかし、それらは理屈であります。人は思いを投影し、哀れであると思ってしまいます。

20年前にこの猫を飼うことにしたとき、猫として大切にしてやろうと思いました。擬人化し、あたかも人の子であるかのように扱うことは、人の生を押し付けることであると思いました。猫にとっての「今」を満たし続けてやろう、と思ったのです。

だけれども、人は自分の思いを投影してしまう。この猫が私を愛してくれている、あるいは、私に不満を持っている。この猫は幸せであるのだろうか、あるいは不幸であるのだろうか。この猫は苦しんでいるのだろうか、あるいは感じていないのであろうか。そんなことを考えても猫は応えてくれないし、考えてもいない。

私と奥さんは、猫に全てを与えた、わけではないけれども、与えられるもの全てを猫に与えた。形のないもので言えば、それは愛情というものであり、形のあるもので言えば、安心し、ぬくぬくとすごせる居場所であり、求めれば常に与えられる食事であり、ああ、もうそんな言葉ではない。私のひざは常に猫のためにあり、私の胸は7kgの体重があったときでさえ、猫のための居場所でありました。爪を立てて遊ぶ猫のために手の甲が傷だらけになったときも、そして今、骨と皮だけになって目やにを出し続けるようになっても、猫は「世界中で一番かわいいだだ」であったし、「ほしいものがあったらなんでもしてやるぞ」であったのです。

Img_0891猫が私たちといて不幸である、不快であると感じたことなどない。そう言いきれるほどの目をかけました。猫が、猫として十分すぎる以上の20年という年月を生きた。それ自体が、満たされた生であった、と思うのです。

それゆえに、猫が生を去ろうとしている今、何かをしてやれなかった、とか、何かをしてしまったと悔やむことなど何もない。猫も、今このときでさえ、弱弱しく息をしながら、それでもなお満たされた穏やかな顔をしている。猫は穏やかであります。

しかしです。私が、寂しいのです。この世界から私の好きだった猫がいなくなる。わたしと20年を生きた猫がいなくなる。この猫は、私の子どもではない。人ではない。ただの猫として生まれて、拾われて、たまたま私と出会い、生きて、満たされた20年を過ごすことができた。十分であります。

それでもなお、私の喉からは嗚咽が漏れるのです。喉の奥から、何かの塊がこみ上げてきて、どうしようもないのです。もうすぐ51歳になろうとするいい年をしたおっさんの目から、涙がこぼれるのです。

失われるのであれば、何ゆえに得るのでありましょう。壊されるのであれば、何ゆえに創るのでありましょう。死んでいくのであれば、何ゆえに生きるのでありましょう。古今の信仰者が修行に励み、哲学者が考察し、今も多くの人々が救いを求めて彷徨っておられます。

つまるところ失われるのはものではなく、自らの心の一部なのでしょう。

神はおられるのかもしれない。御仏は見守っておられるのかもしれない。しかし、自らの心の一部が失われるのであれば、あるがままであるしかない。哀惜離別、というのだそうです。

いま少しだけ残された時間を、悲しみとともに、かつての喜びとともに、猫といてやろうと思うのです。