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カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の25件の記事

2016年4月27日 (水)

やっぱりダメか 三菱自動車

こういう記事、書こうかどうしようか、迷ったんです。いや、だからつぶやきでぼそっとね。その程度にしておこうと。だってね、三菱自動車の販売店で働く人たちにはいい思い出しかない。誠実で、一生懸命仕事をする人たちがたくさんいる。こういうことの風当たりは、その方たちが受け止めることになる。燃費データを偽造された軽自動車を買った人たちがクレームを付けるのは、何も知らずにいい商品を扱ってると信じて販売していたセールスマンたちです。

それ、おかしい。現場で一生懸命働く人たちが責められるの、おかしいと思います。販売店にクレーム付けちゃダメです。本社にクレーム付けるべきです。まあ、電話担当の女の子を怒鳴りつけるのもダメです。日々、真面目に働いている人を、頭ごなしに怒鳴りつける権利なんか、誰にもありません。

そうだから、私はここで言います。

4月27日の段階で、三菱自動車上層部は、新聞報道で「不正の指示はしていない」、「プレッシャーを感じた現場がそういう方向に走ったと考えられる」と言ってます。これは、卑怯です。少なくとも誠実ではない。

5年前に私がD:5を買ったときのクレームは、要するに、売り方が誠実ではない、ということでした。ユーザーに誤認させるような販売の仕方はおかしいだろう、と。これ、今回の事件と同じです。自分たちで言い訳をしている。定められた方式ではない計測方法をしていただけで間違ったデータを提供したわけではない、悪意ではない、というような逃げを用意して、販売をしていたわけです。

そのことについて、当時クレームを申し立てたとき、三菱自動車のカスタマサービスはどうしたか。用件を伝えた時点で、即座にクレーマー対応要員に電話を切りかえました。つまりクレームを申し立てた顧客を、改善のための情報提供者としてとらえずに、企業に仇なす敵として対応する態勢を整えていたのです。

報道によると、今回の不正は25年前から続いていた、ということですが、私が申し立てたクレームは5年前、その時点で三菱自動車は、クレームは潰すべきモノとして対応する会社の方針を採っていました。

こうしたことは、現場の判断でできるモノではありません。個別の命令がなくとも社是、社風、言わずとも判るだろう大人なんだから、という経営の方針を上部が採っていなければ、あり得ないモノです。そういう不正、不誠実は絶対に許さないという経営方針があれば、なくせるモノです。なくさなければならないという意思を持って経営をしていなかったこと自体が、CEOを始めとする経営陣の罪です。会社としての罪です。

自分が出したクレーム案件についてまとめたブログの記事も、当時の三菱自動車カスタマーサービスには連絡して、私の勘違いや間違いがあれば教えて欲しいということも伝えました。少なくともカスタマーサービスは見ていたはずです。その時点で、クレーム潰し体質を改善しなかったからこそ、今回、会社を揺るがす大事件になったのです。

経営陣は圧力を否定していますが、そのこと自体が卑怯です。会社の体質を知らなかったとしても、それ自体が無能の罪であり、驕慢の罪です。

三菱自動車が作る自動車は、嫌いではありません。それに三菱の販売店に勤めるセールス、技術さんたちも、信頼しています。だけど、三菱自動車という会社は、経営陣以下上部を全部入れ替えるくらいのことをしないとダメなんだろうな、と思います。潰れるくらいの経験をしないと、また誤魔化すんだろうな、と思います。ただ気の毒なのは、そこで誠実に仕事をしてきた方たちのことです。

とりあえず、経営陣がカスタマサービスの電話対応要員をやりなさいよ、と思いますがね。

2016年2月 4日 (木)

老境、かなあ

20151129_092528_p1060492 ここんとこ、週末が雪と雨で、走れてないです。でも、ロードに出ていないのはたぶんそんだけではないです。モチベーションの低下、ということになりますかねえ。ということで、今回は来し方と行きし方について、思うところをグダグダと。書きます。

まあ、あんまり走る気がしない。というか走っていてもわりとすぐ飽きる。原因は寒いとか、雪とか、疲れが取れにくいとかいろいろあるんでしょうけどね。わかりやすいところでいうと、長時間走ると、飽きるんですよ。

これがね、ひと頃は5時間6時間は平気で走ってました。100km走ろうと思うと5時間じゃ間に合わんですからね。ところが最近は60kmも走ると、最後の20kmは、ぼろっと口から「飽きたなあ」と言葉がついて出る。慌ててとり消すんですがね。事実として飽きている。なぜ飽きるか。うん、山が凍っていてヒルクライムができないってこともあるんでしょう。平地は飽きるね、うん。クライマーだからね。うん。

そうなんですけどね。たぶんヒルクライムをしていても、飽きたと感じるんでしょう。なにゆえに。うん。ロードバイクという機械も、ロードバイクに乗るという文化も好きです。家の中にバイクがあると美しいと感じます。ロードバイクという乗り物は素敵です。ただね、その刺激に身体が慣れてしまって、ハイな状態が維持しづらくなってる気がします。

およそ趣味というものはそうなのかもしれません。ロードバイクに乗る前は3年くらいインラインスケートにハマってました。その前のウエイトトレーニングは6年くらい。スイミングも含めてジムに通ってましたなあ。ジム通いの前はスキーでしたか。

インラインスケートの後にはしばらく海外旅行、特にハワイにハマってました。スポーツではないですけど、個人旅行で手配して自分で行く海外というのもスリリングなものです。英語、ろくに話せないですからね。エキサイティングです。

海外に行かなくなって、オートキャンプにハマってました。その延長でトレッキングにもハマりましたわ。

どれも夢中になってやってましたな。スキーは分不相応にガチガチに凍ったアイスバーンの雪面をガリガリと削りながら突っ込んでおりました。ジム通いでは、ジムのベンチプレス競争で、体重別2位とか。週3回くらい通ってましたしね。日曜日の朝から夕方まで、ランとスイムとバイクとウエイトトレーニングと。ずーっとやってたりして。ただ、どっかで、どれもふっと離れるんですよ。

なんといいますかね、どれも極めたわけではないですよ。極めたわけではないけども、自分の中で、ある程度やりきったなあというところまでいくと、物事がルーチンになっていきます。苦労してやる意味が感じられなくなってくるんでしょう。オートキャンプもそうでしたが、デリカの荷室が一杯になるくらいものを揃えて、達人とは言わないまでもオートキャンプ名人的なイメージにまで到達したら、んー。ちょっと一休みかなあ、って感じるんですね、きっと。

新しい刺激が欲しくなる。私の義理の父親も、退職後にパークゴルフに夢中になっていたんですが、ふいっと止めた。理由を聞くと、あれはもういいわ、と言います。知らない人は、もったいない、続けなよというんですが、私はわかるなあ。飽きたんですよ。趣味は義務でやるもんじゃない。自分の中にある、意味もない衝動がやらせている。価値があるとかないとかではないですな。

そういえば、まあ私ごときが比較できるもんではないですけど、元格闘家の須藤元気さんが、我々から見るとまだまだ全盛期の年頃に、ふと引退を宣言した。我々からすればもったいない、と思いますが、須藤さんにしたら、自分のやりたかったことはやりきった、というところじゃないですかね。ひょっとしたら。と、この頃思います。

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人によって違うのでしょうが、あるラインから先を深めるかどうか、もう本当に人それぞれなんだと思います。

トレッキングもちょこちょこやって、冬山も少しかじりかけましたが、年齢的にも体力的にも、精神的にも、あ、このあたりかなあ、自分は、と思いましたね。そっから先、冬の八ヶ岳、北アルプスに行こうと思えるかってえと、あ、たぶんそれはないわ、と。

ふむ。夏山もね、どうなんだろう。山は大好きなので歩き続けるとは思いますが、百名山を数えることに興味はわかず、北アルプスから更に深くに入るかというと、かなり疑わしい。

自転車もですね。おそらく年齢的に、体力的技術的に上を目指すという乗り方の限界にきてるような気がしてます。疲労の回復とか持久力の維持とか。そういう乗り方をしようとする限り、これから先の自転車人生は敗北が続きます。楽しみのはずので自転車で、敗北感を味わい続けるというのは納得がいきません。自分なりの勝ちを見つけないと、楽しくないです。

むろん、いくつまで乗り続けられるか、というチャレンジであったり、いくつまで体力を維持できるか、という方向性に変えることはできます。問題は、それが私の副腎皮質を刺激しない、ということであります。アドレナリン過多の多幸症状態。これは得られませんよなあ。

というわけで、今考えているのが、ヒルクライムレースは今年で一旦ピリオドを打とう、ということです。今年は出ます。去年の乗鞍が不完全燃焼でしたからね。今思うと、あの時点でどっか心折れたような気もしますが、そのまま終わるのはなんか負けた気がするので嫌です。とりあえず、今年の全日本ヒルクライムレースには出ます。蔵王、美ヶ原、乗鞍参戦決定です。

その後のことは、その後のことかなあ。と。思ったよりいい成果が出せたら、モチベーションも復活するかもしれません。でもDE ROSAにのんびり乗る、というのはいい選択肢です。あるいは最近復活したスイミングと合わせて、ランを始めて、アイアンマンレースに転向というのもありかもなあ、などと考えておりますが、膝がね。ちょっと自信がない。

20160104_084546_p1060641_2
昔乗っていたオートバイにも興味が出てきたんですが、こちらはいろいろと障害があります。大型の免許を取らなきゃならないってのは、楽しみの一つかもしれませんが、バイクを買うお金がないとか、置き場所がない、とか。日常的にバイクを使う場面がないとか。乗る時間がないとか。こちらは夢で終わりそうです。

いよいよ老後ってのが目前に迫ってきておりますが、老後ってかな。老の今をどう生きていくかってことではないかなあ、と。そんなことを思っているのでありますよ。

2016年1月 3日 (日)

Twitterを始めてみたんですよぅ

というわけでえ。なかなか記事に上げる余裕がないときや、上げるほどでもないことをツイートすることにしてみましたあ。
https://twitter.com/tuka_kakuってとこです。
 
いやほんとたいしたことは上げられないんですけどね。まあ、ちょっとランチに何食った程度の話はこっちで(^-^;
 
たまに覗いてやってください。

2015年8月 1日 (土)

励ましてくださる方がいるのは本当にありがたいことであり

暑いっすよ?

この暑い中、外回りのお仕事されている方々に、心より尊敬と感謝を申し上げます。そういう皆さんのおかげで、世界は回ってるんですよねえ。

 

で、今日は別にこれをご紹介するという内容はございません。感謝申し上げる回でございます。ここんとこ、コメントをいくつかいただいており、中には、気力が切れかかっている私を励ますためにだけコメントを下さる方もおり、ありがたい限りです、と。前にも申し上げたんですが、ポチっとするボタンとかブログランキングとか、そういうのなんかイヤでぇ。でも、そのくせなんか励みになるようなものがないと、やっぱり気力も切れてくるわけです。

 

でも、人のブログにコメントするのって、けっこうハードル高いですよね。私、つけませんもん。なんでしょうね。迷惑かなあとか、思っちゃうんですな。特に用もないのに、知らない人になんか言うの、申し訳ないね、って。まあ、そういう方用にぽちっとするシステムとか、いいね!とかのシステムがあるんでしょうけど。

 

難しいっすね。

 

でも、励まして下さるのは、ありがたいっす。マヂで。

 

これだけじゃなんなんで、近況、というか現況であります。

とんでもなく暑かったので、エアコンを入れてても寝汗をかいて、明け方に目覚めます。朝4時。昨日のうちに、今日は久しぶりの休みだけど、もう外は走れないからローラーやるぞ、と決めておったのですけどね。暑くてイラっとしますし、どうせ眠れないのにベッドで汗だくになって寝転がっててもしょうがないよう、と思いました。

 

20150801_052020ってことで、朝のお散歩ランにでかけます。顔振峠に行けなくもないタイミングですけど、5時出発だと帰りは8時。相当暑い。かなり暑い。その後が辛いのも見えている。ということで、トレーニングではなく、お散歩ランです。

 

DE ROSA NUOVO CLASICCOの出番であります。やっぱりきれいだね。お散歩ランだと、荷物も少なくていいです。ま、まだ明るくはなりきってないので、ライトの類は必要になりますけども。出かける前に思ったほどは、暑くないです。日差しがないからね。脚を止めると、汗が怒涛のように噴き出ますけどね。気持ちいいっす。午前6時前の入間サイクリングロード、けっこうな人出ですよ。やっぱりみんな同じですなあ。

 

乗鞍まであと4週。今年は秘密兵器を仕込みました。両刃の剣とも言う。さて吉と出るか、凶と出るか。その報告はいずれまた。

 

暑いっす。でも、室内にいて文句言っちゃいけません、て。

2014年7月13日 (日)

282万アクセス記念 V270欲しい人、います?

アクセス記念は嘘です。適当です。つうことで、ローラー台がひとつ余りました。ご近所の方で、あまりお急ぎでない方で、取りに来られる方限定で、ミノウラV270差し上げます。付属品は、説明書と専用シャフトとフロントタイヤを置く台。こんだけ。無料です。

梱包したり、送ったりする作業はやりません。自宅バレもマズイので、土日に、私が買い物に行く予定の、埼玉県入間市のWild1入間店に来られる方、限定です。Wild1入間店員さんのご応募もお待ちしております。

つうことで、ご希望の方はブログのコメント欄に、捨てアドとともに、これまでの一連の記事の感想などをいただければ、複数希望の場合は、検討させていただきます。公開コメントになりますんで、うまく加減してください。公開コメントが増えなければ、誰も応募してねーや、ってみんなで笑いましょう。増えてたら、おお、結構いるんだって面白がりましょう。

なおこの記事は、時節柄、適当に削除してしまいますので、ご容赦くださいね。

2013年10月28日 (月)

にっき

20131027_073511_p1050422


この頃、お父さんは忙しそうです。土曜日や日曜日にもお出かけすることがあります。「忙しいなあ」、「疲れたなあ」と、よく言っています。でも、お父さんはずっとそう言っているので平気です。

この間はやっと土曜日に休みがとれたので、お父さんは「やったあ。自転車に乗れるぞ」と言いました。そうしたら台風27号が来ました。お父さんはすごくがっかりしていました。お父さんは、「でも大島の人はもっと大変なんだから、遊べないくらいで文句を言っちゃダメだよなあ」と言いました。ぼくはエライなあと思いました。

20131026_12310120130921_105449でも、お父さんは「雨が降っているから、せめてうどんを食ってくる」と言って、車で、いつも自転車で行く顔振峠の平九郎茶屋まで行きました。台風の後で、道が崩れていたりして、怖かったそうです。しかも、自転車で行くのとそれほど時間が変わらなかったので、びっくりしたと話してくれました。平九郎茶屋の天ぷらうどんは、野菜と山菜だけしかはいっていないですが、とてもおいしいそうです。お父さんは平九郎茶屋のうどんが大好きです。ぼくはシラスの入ったドライフードが好きです。

20131028_193543_p1050453ぼくは一昨日、クリーニングに出すためにお父さんが背広を入れたトートバックの上におしっこをしました。お父さんは「しょうがねえなあ」と言いながらお掃除をしました。トートバックは古かったので、捨てることにしたそうです。こんなスプレーを使ってました。バイオクリアウィルというそうです。

「効くのか効かないのかよくわからないけど、まあ、ようするにこんなもんは気持ちだよ」と言ってました。「ネットで評判はいいらしいけどね」だそうです。でも、実際、あまり臭くないような気がします。でも、そういえば、また一台、プラズィオンが増えましたが、そのせいかもしれません。

日曜日は、やっとお天気になりました。ぼくは日向ぼっこが大好きです。日向ぼっこをしていたら、妹の海が横でぼくを見ていました。ぼくは気にしませんでした。

20131027_075508_p105044720131027_101933_2お父さんは天気がいいから自転車に乗る、と言って出かけました。ぼくは自転車が好きではないので、お留守番をしました。お父さんは、とても気持ちよかったそうです。「秋はいいなあ」と言いながら走ったそうです。途中で、本田航空という会社があって、たくさんの小型飛行機が駐機場にいました。

中にはゼロ戦みたいなのがあって、お父さんはとてもびっくりしました。記念写真もとりました。

それからお父さんは自転車に乗って、吉見町というところにある四万吉うどんという店に行きました。四万吉うどんは、とても量が多いのでなめたらあかん、と言ってました。初めての人が来ていて、並を頼んで、お父さんはバカだなあと思って見ていたら、やっぱり出てきたうどんを見てびっくりしていたそうです。お父さんはちょっと教えてあげなかったことを後悔したそうです。でも、そのおじさんたちは大声で話していて、ちょっとお行儀が悪かったので、やっぱり教えませんでした。

20131027_110332四万吉うどんは、つけ汁の味噌肉汁うどんの小を食べたそうです。とてもおいしかったそうです。それからお父さんは帰ってきました。行く途中風が強かったけど、早い人の後ろについて風よけにしてもらったから楽だった、とニタニタしていました。ぼくはずるいと思いました。

それからお父さんは自転車をお掃除しました。ぼくも体をきれいに舐めました。お父さんはお風呂に行くといいました。ぼくは体がきれいだったのでお風呂に行きませんでした。いつもいく天然温泉ふるさとの湯です。お風呂代は600円くらいなのに、高速道路代が1000円します。ちょっとバカみたいと思いました。でも、とても気持ちよかったと言ってたので、いいと思いました。

2013年6月22日 (土)

ループ!

つまんない話で申し訳ないね、とお断りしておきますね。今までどっかで書いたような話がループするだけ。要するにネタ切れであります。

20130414_185039_p4140015実は、この頃、あまり料理をしておりませんでした。と言いますのは、以前申し上げた通り、私の料理は生活に根ざしたものではありません。趣味であります。毎日の献立を立てるような労務たり得てないのです。道楽で、奥さんにやらせてもらっているわけでありまして、別に奥さんとしては、私なぞが料理を作ろうと作るまいと、たいして困るわけではありません。いや、なまじ私などが作ると、食べ方やら何やらいろいろとを講釈を垂れるし、いかにも美味いだろうと言わせんとする面倒な野郎です。

男の趣味なんてそんなもんですよなあ。まあ、老境にさしかかりつつある夫婦が仲良くやっていくためには、そんなんもこんなんも飲み込んでいかんといけないのです。

で、だ。趣味の料理なんで、時間も労力もかかる。たぶん、お金も。その食事のことしか考えない買い物をして作るわけですからね。男の料理なんて、と自虐ループに入ります。それはともかく。時間がかかるので、奥さんが仕事に行ってる日で、私が休みの日くらいしかできない。奥さんと一緒の休みの日は山に行ったり、風呂に行ったりして過ごしますんでね。まあ老境にさしかかりつつある、ループ!

Photoで、だ。そういう休みの日ってのは、ヒルクライムトレーニングができる貴重な日でもあります。晴れればね。晴れたら、山のふもとまで往復で30㎞、山の中を行き15㎞、帰り15㎞。これを全力で上ります。心拍数180越えることもあります。バカです。坂バカです。いやいや。坂はいい。年寄りロードバイク乗りには、上り坂はいい。転んでも怪我をし辛い。まあ、心拍数180はどうか、と思いますがね。自分でも。脳の血管か心臓の血管か、どっかは切れそうです。

ともかくね。年寄りでも走ってる間はドーパミンだかアドレナリンだかのおかげで走り続けることはできますが、帰ってからの消耗が半端ない。帰り道の道路では、「注意」「集中」とつぶやきながら、自動車や側溝に気を付けようと走ってますが、何のことはない。つぶやきに集中してしまって、数百メートルを無意識的に走っていることがあります。老境のサイクリストです。家に着いたときは、立ち上がることもできないくらい疲弊しまくってます。土曜日にこれをやると、回復するのは火曜日くらいです。

年寄りはねえ、怪我をすると治りが遅い。回復力が圧倒的に落ちていきます。トレーニング効果が残っているうちに、次のトレーニングに入りたいが、疲労が残ってトレーニングができない、という、いくらトレーニングしても効果が上がらない体力減退のループ!

話を戻します。だから。土曜日は自転車の日。飯なんか作っちゃらんねえんだよ、という甚だ自己中心な話であります。話はまだ一歩も進んじゃいねえ。ループ。

だけどです。梅雨であります。自転車は、雨の日は乗っちゃいけない。特に反射速度の遅い年寄りは、避けるが吉。無理しちゃいけねえ。です。だから家の中でローラー台を回すわけですが、ローラー台はつまらないですな。いくらTVを点けていても、つまらない。退屈します。1時間が限度。坂を上りに行った時のように3時間も4時間も走っていられないです。つまんない。ハムスターじゃないの。坂が好きなの。いい歳したおっさんが、重力に抗ってぜえはあいってるのが好きなの。おっさんがかわいい言葉使うな。はい。そう思います。

となるとですねえ。残りの時間が余るんです。

で。飯を作ろうと。こんな素敵なキッチンがあるんですもの。飯を作らなきゃダメでしょう。で。飯を作ろう。と思うんですが、飯を作ると、凝ったもの=カロリーの高いもの、となりがちで、まあそういうメニューしか立てられないのが、趣味の料理しかできないおっさんの、…自虐ループ!

そんなわけで、梅雨の間はメニューを考えつつ、がんばろうかなあ、と。でも、カロリーは控えめに。何しろ、自転車乗りは体重を削るのもトレーニングのうちです。ちなみに、体重は、この40日間で6㎏落としました。見た目にわかる痩せ方です。ただねえ。若者が痩せると精悍になりますが、年寄りが痩せると、死ぬ前のじじぃ、みたいになっています。骸骨的イメージ。です。

10日で5㎏増やすのは簡単ですが、5㎏落とすのは、とても大変ですな。自転車に乗っていれば痩せるか。うん。無理。そういうものじゃない。確かに4時間も走ると、概算で2000Kcal~3000Kcal程度は消費するはず。はずね。でも、1500Kcalくらいの飯って、簡単に喰えます。かつ丼とそばのセットなんて食えば、簡単。それを週に二回も喰えば、あっという間に消費カロリーを摂取カロリーが上回ります。週に一回走っただけでは、落ちる脂肪は2~300g程度。そんなもん、ペロリです。

だから、自転車で痩せるのは無理。だけど、自転車をモチベーションにして痩せることはできます。空腹時に、これが今できるトレーニング、と思えば喰わずに済む。喰わないことがトレーニング、そう言えば、雨の日に走れないフラストレーションも、少しだけ解消する、一石二鳥です。

とはいえ減量期は、やはり体調を崩しやすいし、トレーニング効果も上げにくい。体調はあまり良くないです。体は軽くなりますが、筋肉も落ちてますしね。

体調が悪いのは、薬の影響かもです。実は、減薬してます。前々から服用している睡眠薬ですがね。どうも量が多い。何より、不眠症として服用してる期間も半端なく長い。管理職になってからずっと、ですから5年以上服用しています。しかも、その間ずっと薬を増やし続けてきました。こりゃあなあ、と。薬剤師さんに聞くと、この量を飲んでいる人はなかなかいない、と言いますし、これだけの期間飲み続けていることを考えると、依存症になっている可能性が高いです。

本来であればお医者さんにコントロールしてもらうべきところなんですがね、私が通っているのは月一度、内科も兼ねた、心療内科も診ますよ、という小さな医院。自分で行ってて、言っちゃあなんですが、簡単に睡眠薬を出してくれます。が、減らそうとかいう、心療内科医的まっとうな治療には、あまり積極的ではない。基本、様子を見ましょう、です。

まあねえ。仕事が不眠症の原因ですから、仕事を辞めない限り、不眠症の原因はとれない。考え方を変える、なんてよく言いますが、思考のスタイルこそ、その人そのもの。そうそうは変わらんです。ということで、ドクターとしては、薬を飲ませておいて様子を見る、と。

ただねえ。依存症は困るんで、計画的に、薬を減らす試行をしております。勝手に。でも、計画的に。今飲んでいるのは超短期型のハルシオン0.25㎎2錠、短期型のレンドルミン0.25㎎1錠、中期型のユーロジン2錠。特に問題なのが、ユーロジンの方です。どうも効果が残りすぎて、翌日の昼近くまで眠気が出ます。もともとハルシオンだけでも翌日に眠気が残りがちだったのに加えて更に、ですんで、かなり眠気に耐えるのがきつい。

とは言え、寝付けないのは困るのでハルシオンは削れない。そこで、ユーロジンを減らしてみることにしました。ユーロジンを1錠にして1か月、体を慣らしました。やはり、1錠だと朝、起きた後すっきりとしています。が、眠りは浅くなります。ずっとレム睡眠が続いているようで、午前3時過ぎくらいから短いスパンで目をさまし、夢を見続けています。まあ、これはこれで行けます。夢を見ているのは、嫌いじゃないです。現実逃避が好きなタイプです。

20130414_194035_p4140020で。慣れたかな、と思って、ユーロジンを完全に切ってみました。2日目くらいから、記憶が飛んだり、体が揺れたりする感覚が現れ、思考が定まりにくくなってきました。うーん、体調悪いなあ、と、うすぼんやりとした脳で考えるに、これ、いわゆる離脱、つまり禁断症状だなあ、と。思っています。空腹でぼんやりしているというのもあるかもしれませんが、食っても同じところを見ると、老人性のめまい症だったりするのかなあとも思い。でも、時期的には離脱だと考えるのが適当でしょう。とりあえず、今、離脱症状が出ているということは、2か月もあれば抜けるかなあ、と。

でもやはり、これはキツいんで、ちょっとだけ薬を戻してみようかと、様子を見るループに入っている、と。

オチはないです。思考力が落ちてますんで。気力もない。すまんねえ。付きあわせて。

2013年3月 3日 (日)

聞きかじりを偉そうに語る いわば半可通の本領発揮である

20130224_172403_p1050067スランプです。つうかネタがないです。ないこともないが、中途半端。今回はまあつまらんことを、いくつかグダグダと重ねて行きましょう。

猫の話。つうか防災の話。ですかねえ。ちゃんと防災グッズ、用意してますか。してる方、増えましたよね。あの震災以来、まあ震災ってのは現実に起こるものだ、という実感を日本国民がたたき込まれたわけですから。

阪神淡路大震災のときだって学んだはずなのに、記憶ってのは薄れてしまうもんなんですなあ。でも、逆に哀しみも時が薄れさせてくれるから、生きていけるってのは、ありますな。

いや、震災に比べたらほんとつまらん話で申し訳ない。もう一昨年の秋になりますか。だだタクが逝ってから、それはそれは泣きました。今でも時折、猫の写真を見てほろほろと泣くのです。いい歳をしたおっさんが猫の骨壺と写真を眺めて、ほろほろと泣くのです。

20130303_170601_p1050085今はですな白猫が膝の上に乗せろと、イスをばりばりやってますんで、とりあえず膝の上に白猫を乗せて、これを書いているわけであります。白猫は慰めてくれているつもりはないのでしょうが、救われます。

普段は抱いても、あっという間に膝から降りてしまうくせに、PCに向かっているときに限って、こうして膝の上に乗りに来ます。この性質はなんでしょう。よく言うのですが、家猫というのは可愛がられることが商売なんです。適者生存、というのでしょうかね。可愛がられる所作、反応をする猫には、人は餌を与えて、過ごしやすい環境を与えてきた。それが何世代、何十世代にも渡って続いてきました。そりゃあ、可愛い性質のヤツが生き残りますわ。

で。だ。防災の話。ウチは一応、耐震性能もそれなりに保証されたマンションなんで、」震度7くらいでも一気に倒壊する、ということはないでしょうな。それでもガラスは割れるでしょうし、家具も倒れる。ライフラインが切断される。

前回の震災の時に、一番困ったのは、やはりトイレです。マンションの水洗トイレというのは、例え風呂場に水が溜っていても、流せなくなるんです。なぜならば、下水溜りで下水をくみ上げて流しているポンプ自体が止まってしまうからです。ウチは高い階なんで、流してしまうことは可能かもしれませんが、その流れた物は、下の階で吹き出してしまうことになりかねません。道路上だったりですね。

20130303_172154_p1050087で、まあ用意しているのがこんな感じ。簡易トイレです。とりあえずは、一週間くらいはトイレが使えなくてもナントカできる位の量は用意してあります。が、これはねえ。使いたくないなあ。無駄になって欲しいストックです。

あ、どうせ適当な話なんで、適当に話がずれますがね、山に行くでしょう。一番困るのが、やはりトイレなんですよ。いやいや尾籠な話で申し訳ない。最近の山ブームで山を歩く人はずいぶん増えました。つか増えたウチの一人は、まぎれもなく私なんですがね。でね。心配性の私は、いつもトイレが心配で仕方がない。

子どもの頃なら立ちションも、そりゃしてましたよ。でもねえ。長ずるに従って、いろいろなマナーというか社会的ルールというか、身に付けていきますよね。これってある種の心理操作じゃないか、と思うんですけどね。立ちション、ってもう凄い抵抗のあることなんですな。

ああ、正直に言いますよ。今だって、自転車に乗っているときとか、山を歩いているときに、どうしようもなくなれば、立ちションします。ただし、抵抗がないわけではない。すっごい心理的抵抗に逆らって、いや心理的条件付けに生理的反応が対抗して、なんとかやりとげる、それくらい大変なことです。

立ちションですらそうなんです。では、更に臭い話で申し訳ないですが、大の方。うん、つまり大便です。これを外でするってのはねえ。ああ、50有余年にわたる人生において、何度かありました。何度かあった、というくらい、逆に言うと心の傷となっているわけです。心理的条件付けを破るわけですから。

これが、不思議なことに、というか心理的条件付けであるからには当然なことなんですが、穴が掘られていて、板一枚で囲って、便所と書いた札一枚あれば、そこまでの抵抗はない。まあ実用上は大変に不快な思いをすることは間違いありませんが。

20130303_183646_p1050090で。一段落戻しますが、山に行くときに一番心配なのが、トイレだと。夏の低山ならまだいいです。ちょいと裏手に回れば木々が姿を隠してくれます。いざとなりゃあ、リュックの中にはこんなセットも常に入ってます。スコップ、ペーパー、ライター、ストックパック。幸い、まだ一度も使っていませんが。

が。高山縦走ともなれば、そうはいきません。特に私のような初心者が歩けるような縦走路は、常に人がいると考えた方がいい。です。だからといって、登山道を離れた岩場の陰に隠れて用を足そうとして、滑落して命を落としたんでは話にならん。でしょう。

まあ、山の中の用便ということについては、心理的条件付けに対抗するという問題の他に、自然をどう守るか、ということも、当然ありますわね。アメリカの国立公園などは規制が厳しいので、基本は大便は全て持ち帰りだそうです。リュックの中に、それが入っているわけですわねえ。うーん。でも、4000m級の高山だと、通常だと便だとか死骸だとかを分解してくれる虫だの微生物だのがあまりいませんから、下手すればずっと残ってしまう。山が好きで行く人が増えれば増えるほど、山は汚染されていく、という問題が出てくるのです。

少し前の富士山なんかは、酷かったらしいですよ。トイレと言っても、山腹にダダ流ししてるだけだったので、これはとても日本の誇りとは言えん、というわけで、最近はずいぶんと改善されているようですが。私は一度しか登ったことはありませんが。確かに山小屋の下はなんとも言えない光景が広がってました。ただ、そうなると、バイオトイレであれ、縁で卸すにせよ、それなりの、便を処理するコストが発生します。トイレ有料。それが当たり前。きっちり金を払って、きっちりキレイにしていこうじゃないか、そう考える人以外、山になんか行くな、とか思う私は矛盾してますかね。

エベレストを登るような人の場合は、-40℃の暴風雪の中で用便しようとすると、命を落とすので、小便はPボトルという、まあなんでもいいんですけど、専用ボトルの中に小便をして、それを後から捨てる、らしいです。外に出てやる猛者もいるらしいですけど、その場合風邪によって巻き上げられた小便が自分にかかり、まあそれは一瞬で凍るので、それ自体は問題ないそうですが、きっちりと氷を落とさないと、テントの中に戻ったとき大変なことになる、と言ってました。大便の方は、あまり問題にならないようです。ってのは、この辺りになってくると、食料も極限まで削っているので、そうそう出る物もないらしい。どうしてもって時だけは大急ぎでやる、と言ってました。

ああ、これも山の人には有名だけど、一般の人があまり知らないこと。エベレストのような7000mを越えるような山々。途中で命を落とす方もたくさんいます。じゃあ遺体はどうなるのか。そのままです。もともと人間が生きていくのに必要な酸素量が存在しない高度、デスゾーンと言うらしいですが、ただ生きているだけで刻々と命が削られていくような高度。とても遺体をおろせるようなところではありません。何らかの事故でそこに置き去りになった、というなら国費で莫大な費用をかけて遺体をおろすかもしれませんが、もともと、自分で好きで登った人々です。誰も、命や莫大な金をかけて遺体をおろす、なんてことはやりません。

登山者は何十年も前から、命を落とした方の遺体があちこちに残ってるルートを、登っていくのです。自分もこうなるかもしれない、ということを覚悟した上でね。究極の自己責任、です。そこまで行かなくてもねえ、なんかあったら誰か助けてくれるだろう、なんて装備で山を歩いている人を見ると、ぶっ飛ばしたくなりますよ。巻き込まれる救助の人がお気の毒です。

さて、この辺りの山に行く人は、私なんかが言ってる心理的条件付けなんて、とっくに解除してますよね。こういう話は、あまりキレイな山の本には載ってないです。が。山にはトイレもないし風呂もない。着替えを洗濯することもできない。一週間の縦走をする人は、せいぜいウェットティッシュで体を拭くくらいで、パンツも替えずに、雨水を沸かした物を飲んで歩いているのです。むろん、パンツは替えてます、って人もいるでしょうけど。

で。みなさん。外で、誰かに遠目に見られるか、あるいはすぐ横を人が通るところで、用便、できますかね。そこ、その壁を破れるかどうかが、この先、私と奥さんが、次の山域に入れるかどうかが決まるでしょうねえ。

20130224_152504_p1050055尾籠な話ばかりじゃなんなんで。震災の時に、まず確保に走ったのは、猫の餌でした。まあ人間はなんとかなるだろうと。ただ猫の餌なんかは、後回しになるに違いない。ということで。もともとこれくらいは、猫缶のストックはあるんですが、もうちょいドライを増やしました。ウチの場合、人間の水と食料は1週間、猫の食料は2週間は確保しております。

ちなみに、α米とか缶詰とか、賞味期限が書いてありますが、なに2年や3年過ぎていてもなんの問題もありませんぜ。旨いもんではないですけど、もともと旨いってもんじゃないですから。まあ、自分で試しただけで、人様には強制はしません。そんなもん自己責任でやりゃあいいんです。

2012年9月12日 (水)

父逝く 特別養護老人ホーム みかんの里にて

Epson004_2暗い話で申し訳ありませんが、長く病を患っていた父が亡くなりました。進行性核上麻痺、という難病で、パーキンソン病と似ているんですが、微妙に症状が違います。微妙に違うのでパーキンソンと同じ薬が効かない。症状としては、パーキンソンと同じように、神経系の麻痺、認知障害などを伴い、やがて全身の機能不全を起こしていく、というものです。

ところで、難病の難病たる最大の由縁は、患者数が圧倒的に少ない、ということなんです。症例が少ないから、治療法が確立されない。仮に治療法が見つかる可能性があったとしても、商業的に成立しないので、癌や心筋梗塞などのようにマンパワーとマネーをつぎ込んだ治療法の研究などできるはずもない。

症例が少ないので、どの程度生きるか、どう進行するかもよくわからないまま、告知を受けたのが10年前でした。その時点では、3年、もって5年、と言われていました。あれから10年。徐々に神経系は衰え、一人では歩くこともできなくなり、言葉もほとんど無くなり、食事も摂ることができなくなって胃ろうをすることになりました。

でも、尋ねていくと、はっきりしない言葉で子どもの頃の話に答えるのです。子どもの頃に泳いだ川でとった鰻や鮎の話、山を歩いて摂った山菜の話、そんな話をすると頷きながら手真似で泳いで見せたりするのです。ここにいる人は、私の父である。父であるのだけど、私の幼年の頃に圧倒的な輝きを持っていたその人格ではない。言わば燠火です。時折赤く輝き揺らめく炎の名残です。

10年前から、覚悟をしてきたつもりでした。徐々に介護が重くなるにつれて、母の負担も大きくなり、家族の負担も増えていき、危うい時期もありました。幸い、縁あってとてもいい施設でお世話を戴くことができたので、母も穏やかに毎日、父の世話をすることに生き甲斐を持ちつつ、最後まで思いを抱いていることができたようです。

私は、というと、不肖の息子であります。私は父の働く姿を見て、反発し、そして結局は父と同じ仕事をすることを選びました。

Epson006父の話を書こうとして、思うのは母のことです。昔は今と違って、月給は現金支給が当たり前でした。母は、支給日に給料袋を父から渡されると、それを押し頂くように受け取り、子どもたちを正座させ、「お父さんにありがとうと言いなさい。」と話したのです。子どもたちに、新しい靴下一足を買ってきて与えるときも、「お父さんにありがとう、と言ってきなさい」と話して聞かせました。

田舎暮らしをしていた我が家は、街の暮らしのように父が飲んで帰るなどということはありませんでした。その代わり、毎日のように晩酌をし、しばしば友人を招いて酒盛りをしていました。酒盛りの時に脚に出される落花生が欲しくて、客の前に言って、「食べるんだよ」と割って見せたりしました。父は、子供の浅知恵を笑ってみていました。

私が物心ついた頃の家の乗り物は、オートバイでした。東南アジアの国で今でも見られるように、後席に母を乗せ、ガソリンタンクにしがみつくように姉が乗り、母が私を背負いました。

父がちょうど今の私と同じくらいの年の頃、私は結婚しました。その頃の私は式も挙げることができないような貧乏な生活をしていましたし、自分で生活をすると決めていた私たちは、家に援助を求めることもしませんでした。籍だけを入れて生活をし始めて半年、ようやくとれた休みに、私たちは父のいる家に帰りました。

父は「おお、よう来たな」と嬉しそうに笑いました。夏が来る度に、私と奥さんは父と母の待つ和歌山の田舎町に帰りました。いつもいつも、「よう来たな」と待っていてくれたのです。ですが、それから10年もしないうちに、父は定年を待たずに退職をしました。そのころから病が少しずつ、父から仕事をする力を奪っていたのです。原因の分からない病気は、和歌山の小さな総合病院では手に負えず、父は自分で建てた家を売り払い、友や親族に別れを告げて、東京に出てきたのです。あちこちの脳神経科を回り、父の病名がわかるまで10年以上がかかったのです。

少しずつ、少しずつ、病は父からいろいろなものを奪っていきました。いろいろなことを忘れてしまいました。新しいことを覚えられなくなりました。大好きだった本を読む力も失いました。自分のいる場所も分からなくなりました。時折、家からいなくなることもありました。家族が、父が失われていくことに向かい合わなければいけない苦しい何年もがありました。あんなに父親を大切にしてきた母が、父親を叱る姿を見るのが苦しかった、そんな時もありました。それでも、父はただ穏やかな性格だけは残してくれましたした。

幸いなことに、というか、苦労の果てにそんな父を見てくれる施設が見つかり、そこにお世話になることができました。

だんだんと父は食事を自分でとることもできなくなり、母以外のものには何を話しているのかほとんどわからないようになっていきました。このぼんやりと存在する老人のどこに父がいるのか、ある人をある人たらしめているのは、なんであるのでしょう。それでもやはり、父は時折、生まれ育った故郷の川を語り、私の名を呼びます。

Epson005私の目の前で、林檎を手で割って見せた太い腕は細くなり、川でおぼれた私をすくい上げた力強い胸は細り、自らの仕事を熱く語ったその思いも消え、それでも父は、父であり続けました。

私は、この父の子であったことを誇りに思います。不肖の息子でありました。あなたと同じ職を選び、勤めを果たそうと努力をしてきたが、あなたのように誠実ではなかった。あなたのように努力を続けていなかった。それでも、私は、あなたの息子として、あなたを誇りに思い、あなたのように強く優しく生きたかった。

私の父の最期を看取ってくれた施設は、「みかんの里」という特別養護老人ホームです。若い人たちがたくさん働いています。こうした施設で働く人の給料は安い、と聞きます。だからベテランが育たず、生活をするために転職していくそうです。そうかもしれません。また、死に近づいていく老人たちの世話、汚物や悲鳴や、妄言、徘徊、若い人の心すり減る仕事であるかもしれません。

でも、父がいた施設は、病気の父を最後まで看取ってくれました。私たち家族は、この施設で救われました。父親もまた救われました。父が施設を去るとき、全ての手の空けられる職員の皆さんが、玄関まで父を見送りに来てくださいました。私たち家族ではできないことをやってくださるみなさんがいるということ、時には心折れそうになることもきっとあるでしょう。けれども、皆さんがやってくれていることは、たくさんの人々を救う仕事です。どうぞ誇りを持って、感謝を受けとってください。みなさんが、私たちの代わりに父を看取ってくださったこと、父を見送ってくださったことに本当に感謝しています。

「みかんの里」のみなさん、本当にありがとうございました。

2011年12月25日 (日)

風邪を引きました

なんつうか、休みになると風邪を引く、そういうもんですな。緊張感がゆるむんでしょう。とはいえ年末休暇までは後数日は働かなきゃならんです。

なんとか治して、体調万全で冬キャンプに出かけたいもんです。すんません、年内もう一回くらい記事の更新をする予定でしたが、とてもじゃあないが、脳が働きません。年が明けましたらね、冬キャンプで使う予定のいくつかの新製品、記事を上げますんで。また来てくださいな。

本当に、本当に大変な一年でした。新しい年が、みなさんにとって良いお年になりますように。